備忘録・2001年1月

日々の出来事やその日に仕入れた情報をお届けします

Wednesday, January 31, 2001
 野球部創部111年目にして、初の甲子園出場となる安積高校は、今ごろてんやわんやだろうか。福島では決定と同時にテレビでニュース速報が流れたばかりか、地元新聞の号外は出るは、地元ラジオ局ではさっそくに特集番組が放送されるは、ちょっとしたお祭り騒ぎになっているらしい。

 そんなに騒ぐのも、裏を返せばこれまでにどんなに苦い思いを重ねてきたかという事でもあろうし、今回の出場決定が、まさに予期せぬ大きな大きなプレゼントであったということでもあるかもしれない。

 いずれにしても、甲子園で行われる高校野球の全国大会に、初めて出場するという単なるその出来事を、大勢の人々がこのように歓喜できるということそのものは、この安積という古い古い高校が、世間で言われるような進学校という単に大学へ入学するための前座の高校では決してなかったことを証明しているのだろうし、そしてまたこの学校で過ごした3年間がまぎれもなく僕たちの貴重な財産であることを示しているのだと思う。

 まあ実を言えば、僕たちの自慢の応援団を、甲子園という晴れ舞台で全国のみなさんに披露できることが、うれしくてうれしくてたまらないだけだったりするのかもしれないけれど。

 さて、65年ぶりという大雪でグラウンドがまったく使えない野球部にとっては、まさにこれからが試練のとき。特別枠での出場で、いろいろな外野の声も聞こえてくるかもしれないが、春の県大会優勝が示すとおり、実力でも全国レベルからそう引けを取るものではないはずだ。大好きな安積の応援が何度でも見れるように、是非是非この春は「安積旋風」を甲子園に巻き起こしてもらいたいと思う。


Tuesday, January 30, 2001
 昨日のこの欄で、ずうずうしくも「ウェブ上健康相談」をさせていただいたところ、さっそくいろいろなコメントを世界中から寄せていただきました。あらためまして、お礼申し上げます。また、毎度の心配をかけるコメントをお詫びいたします。

 ・・・・・

 同じような境遇にある人が、同様の状況に陥ったときに、そう言えばどこぞで似たような経験をしていた人がいたっけなあ・・・と思い出して参考にしていただけるなら、との思いもあって些細なことも記録として残しておこう(なにしろこのページは『備忘録』であるから)と思っている。また、それに対して寄せられた対処法もまた、貴重なデータベースの役割を担うのではないかとも思う。といって、これまでの数々の身に降りかかった出来事が、果たして一般的に役に立つたぐいのものであるのか・・・疑問ではある。

 さて、寄せられたコメントを総合すると、ストレスや栄養の偏りが原因と見られる「顎関節疾患」で、即効性の具体的な治療は難しいものの、この年齢によく見られる一過性のものだから、休息と栄養をしっかりと取れば大丈夫だろうとのこと。ありがたいことに、すぐに医者に行きなさいという忠告はなかったので、安心してこのまま日々を暮らしていけるようだ。

 というわけで、まずは治療の第一段として(相変わらず痛みは退かないもので)、久々のご飯を食べようと、ミーティングの後の午後9時頃から仲間を誘って「寿司」を食べに繰り出した。

 禅に造詣の深いブラジル人と三島文学をこよなく愛するアルゼンチン人の、いずれも寿司には目のない僕のいつもの寿司友達に加えて、初めて日本食を口にするというこの1月から新たに加わったイタリア人の女性ポスドクも交えての食事となった。もっとも、イタリア人の彼女は、生魚はどうしても食べられないとのことで、本当の意味での寿司はついに口にはしなかったけれど。

 ブルックラインにある「竹島」という寿司レストランで堪能。ちょっとした注文の勘違いがあって、期せずして満腹となるほど寿司を食べる羽目になってしまったが、おかげで長いブランクを埋めるに十分なご飯の味となって、満足、満足。

 これで明日にはけろっと顎の痛みがなくなってしまったら、本当にご飯欠乏症だったということになってしまうけれど、果たしてどうなることやら。

 さてさて、待ちに待った安積高校の甲子園行きの決定は・・・「おめでとう」甲子園初出場!!

 福島の地方テレビ局でニュース速報のテロップが流れたのを、5分と遅れずに知らせが(ボストン時間の午前1時15分。寝ずに待っていた甲斐があった)。ああ、それにしても甲子園でみんなと一緒に応援したいなあ。


Monday, January 29, 2001
 またしても、ウェブ上健康相談・・・。

 ここのところ、食べ物を口にして噛もうとすると、こめかみのあたりから顔の両脇にかけて鈍い痛みが走り、なんとも食事がおっくうなのだけれど、これって何が起こっているのだろう。

 もしや、日本から帰ってきて以来、こちらでご飯を食べていないことに原因があるのだろうか、と心配してみたり。

 どうも、実家のご飯を口にしてしまうと、ちょっとしばらくは他でご飯を食べたくなくなるのは、日本に居たときからそうだけれど、今回はもうかれこれ1カ月にもなるから、もしやご飯でしか補えない栄養が何か不足しているのだろうかと思ってみたり。

 まあ、何か体に異常がある度に、それに思い当たる原因があるというのも問題だとは思うが・・・。ん、なんだ、ご飯を食べてみればいいのか。明日、久しぶりに食べてみるか。


Sunday, January 28, 2001
 アメリカ中が1年のうちに最も熱狂する日。ニュース報道によると、実にアメリカ人の半数に当たる1億2000万人がテレビにかじりついているという、アメリカン・フットボールのチャンピオンチームが決まる、スーパーボールが、フロリダのタンパで行われた。今年は大方の予想を覆して、ニューヨーク・ジャイアンツとボルチモア・レイバンスの対戦。

 今日は、親しい友達同士がテレビを囲んで試合を観戦するという「スーパーボール・パーティー」というのがあちらこちらで開かれるのだけれど、僕も知り合いのルームメイトがニューヨーク出身のジャイアンツファンという家にお邪魔して、男5人の何ともマニアックなパーティーに加わった。

 まあ、試合の内容は・・・詳しくは語るまい。得てしてビッグ・ゲームでは何ともぱっとしない試合がありがちだけれど、今年のスーパーボールは史上まれにみる凡戦と言っていいくらいの内容で、う〜ん、盛り上がりに欠けるというレベルにも満たないとあって、パーティーのなんとまあ落ち着いていること。

 まあ、とりあえずはボルチモアにおめでとうを。

 ところで、東日本はこの週末またしても大雪に見舞われたそうで、我が天栄村はまたまた新聞ネタになっていたそうな。気象観測史上最高の積雪を記録している福島で、只見189センチ、金山126センチ、天栄村115センチ、という積雪。

 安積高校のある郡山市も記録的な大雪に見舞われ、野球部のここのところの練習といえば、構内の雪かきだとか。選抜される理由の一つに「大雪災害の克服」という項目がまた一つ加わって、ますます当選確実になったと喜んでいるのは、ちと不謹慎かな。


Friday, January 26, 2001
 先日、母校の安積(あさか)高校が「21世紀枠2校」という新たに設けられた選抜方法で、春の甲子園大会に出場できるかもしれないということを書いた。これは、21世紀最初の大会となる今回に限ったものではなくて、今後も継続されるそうで、品位・実力を基準に選ぶ従来の代表校選考と違い、「困難条件の克服」「文武両道」「甲子園未体験」など、多彩な要素を加味した上で2校を選出するのだそうだ。

 大方の予想では、10月の西部地震に遭いながらも地区大会で準決勝まで進んだ鳥取の境港工と、過疎化で統廃合のスケジュールが決まっている中で、昨秋の県大会に11人の部員で臨み8強入りした石川の町野高が、今回の主旨に一番合致していて最有力候補ではないかとのこと。

 しかし、せっかく出場できたとしても、その高校がすぐに負けてしまったのでは、この特別枠の意味が半減してしまうような気がする。つまり、甲子園にもし出場したなら勝ち抜いていけるかもしれない高校を選んでこそ、この特別枠の主旨が貫けるというもの。

 その意味では、春の福島大会で優勝を飾ったときのレギュラーが4人も残る我が母校は、まさに高野連の思惑を実現してくれそうではないか。おまけに、週末は練習をする場所がなくて市内をさまよっていることとか、文武両道の伝統が厳しいため練習時間を制限されていることとか、野球部創部100年を超えてなお甲子園出場の経験がないとか(といって弱いわけではなく、ここ10年の成績はベスト8以上ばかりのはず)、極めつけは甲子園の大会中にOBを中心にした大々的な反対運動を押し切ってついに共学化されることとか、もう話題豊富。

 ウェブ上の人気投票でも、ダントツの人気。熱狂的な応援で知られる富山の新湊高が甲子園初出場したとき(1986年)に、121台の応援バスで甲子園入りしたことはつとに有名だが、これに負けず劣らずの応援も大いに期待できる(もっとも、甲子園の駐車場の制限から、現在では応援バスは50台までと決められている)。

 はてさて、どうなることやら。なんだか、自分の試験の合格発表を待つ気分ではある。

【今日の科学情報】
 米国のバイオ企業の「ミリアッド・ジェネティクス」と「シンジェンタ」が、穀物のゲノムとしては初めてとなるイネのゲノム(全遺伝情報)の全塩基配列を解読したと発表した。イネゲノムの解読は日本の農林水産省農業生物資源研究所が中心となって、欧米、アジアなど11の国・地域が国際コンソーシアムを作って解析を進めているが、こちらは全イネゲノムの5%から6%を正確に解読、やや精度の落ちる結果を含めると1割の解読を終了したところ。


Tuesday, January 23, 2001
 先頃、日本に帰ったときになんだか久しぶりだという感じがしなかったのは、実は毎日インターネットで日本の情報を得ていることに原因があるのではないかと思って、こちらに帰ってきてからというもの、日本の情報をなるべく集めないようにしている。といって、日本の友達からは毎日メールが届くから、情報がまったく入らないわけではないし、なにより、ケガの功名として、そのメールに書かれた日本の出来事を読んだときの新鮮さが違って、新しい楽しみ方を見つけたようなもの。

 しかしそのおかげで、10日も前のとびっきりの情報を、今日になるまで知らなかったのがちと口惜しい。それというのは、夏頃ひとりこの欄でも騒がさせてもらった、母校「安積高校」の甲子園行きが、なんともはや現実のものとなろうとしているというニュース。秋の地方予選では、期待されながらもベスト8止まりだったこともあって、もう完全に甲子園行きはあきらめていたもんだから、まさに青天の霹靂。

 何でも、今年の春の選抜から導入される「21世紀枠候補校」の全国から選ばれた9校の中に、東北代表として選出されたのだそうだ。いやはや、何という強運。もっとも、この9校のうち実際に甲子園に出場できるのは2校だけ。選抜出場校が決定される同じ日の1月30日に、その選考に先立って選出され、選ばれなかった7校は、その後の選抜出場校の候補の中に組み入れられてさらに審査を受けるということになっているそうだ。

 今年は校名が「安積」になってちょうど100年(創立は118年目)。また、全国ではめずらしい公立の男子校(福島では当たり前だった)が、この春から共学校になるとあって、もし甲子園に出場ということになれば、まさに男子校最後の花道となる。

 はてさて、1月30日の選考会の結果が今からたのしみだが、この特別枠の主旨からすると、石川の町野高と、鳥取の境港工高が今のところ頭一つリードしているらしい。まあ、この100年間の「もう一歩」度からいえば、どこにも負けない我が校だから、21世紀初めの大きなプレゼントを期待したい。

 それにしても、もし選抜大会に選ばれたとして甲子園に応援に行けないというのは、高校時代に新聞部員としてあらゆる試合に取材と称して野球部についていった身には、これまた何とも口惜しいことではある。


Monday, January 22, 2001
 先日打診していたハーバードのラボとの共同研究の提案が、先方にも快く受け入れてもらえ、今日はこちらのボスとあちらのボスを交えての初会合となった。

 自分でひねり出したアイデアが、人から認められるのは、それはもちろん気持ちの良いことではあるが、言い出しっぺの責任というものが想像以上に重いものであることが、今日の初会合であらためて身に染みた。まあそれでも、2人のボスを動かしたということ自体に、自分としては大きな満足を感じているのだが。

 夕方には、毎週恒例のグループミーティングがあり、今日はこのラボでの僕の8回目となるプレゼンテーションの日。

 発表が始まる前に、うれしい知らせが。それは、我がラボから初めて「Science」誌に論文が掲載されることになったというもの。いよいよメジャーデビューだ、ということで、ボスをはじめメンバーの誰もがこの喜びをかみしめ、正真正銘の「シャンパン」で乾杯となった。

 実は、僕のプレゼンテーションにまつわるジンクスがあって、僕の発表の日には決まってこのような論文掲載のうれしい知らせがあるのである。僕自身はその何とも不思議な巡り合わせに気づいていたのだけれど、メンバーの何人かがやはりそのことを気にかけていたようで、「毎週トミオの発表があれば、論文がどんどんでてくるんじゃないか」との提案。・・・そりゃ、こちらがもたない・・・。

 さて、プレゼンテーションであるが、今日のは自分でもこれまでのベストと太鼓判を押せるほどのかなり納得できる出来。なんといっても、5カ所ほど織り込んだ笑ってもらうポイントのうち、4回までは爆笑を誘えたのだから。もっとも、最後の一回にしても、メンバーと来たらそろいもそろってみんなが笑いをこらえて、意地でも笑わんぞという体勢だったから、ほぼ目的は達成されたというもの。

 しかし、あくまでも今日の発表は僕にとっての「これまでの」ベストであるから、まだまだ大学院生たちの惚れ惚れするような発表にはほど遠いのが現実。

 まずは、てみじかに喋れるようにしないといけないな。はあ、今日もまた少し時間をオーバーしてしまった。


Sunday, January 21, 2001
 この欄に天気のことを書くと、決まって次の日からその逆の現象が起こるのだけれど・・・今回もそのジンクスは覆されなかった。

 なんともはや、朝からすごい吹雪である。雨ですっかり消えていた雪景色を、ご丁寧にももう一度化粧直し。吹きすさぶ風も、すっかり冷え込む気温も、まったくもって今が真冬であることを再認識させてくれる。

 まあ、こうして書いておけば、また明日から暖かい日が・・・きっと、来るに違いない。

 我が家に配達されてきた今週号の「Science」誌は、初めに手にしたときになんとなく違和感があったのだけれど、ページをめくっているうちに、その違和感がだんだん不快感に変わってきた。

 というのは、天と地の雑誌の切断が斜めにされていて、言ってみれば雑誌の形が「平行四辺形」になっているのだ。記事の部分は広告を除いて、ぎりぎりカットされることなく支障はないのだが、ページを開くとどうにも「曲がっている」のが気になって仕方がない。おまけにそんなだから、本棚に並べようものならピョコンとこの号だけ飛び出してくるし。雑誌の底面はさらにどうしたらそんなに不揃いに出来るかと思うほどに凸凹だし・・・。

 「並んでいない」とか「曲がっている」というのが、どうにも気になるのは悪い癖で、あんまり几帳面なのもどうかと思うけれど、これもまあ、人と並びたくないばかりに、寄り道を見つけては曲がってきた自分の生き方のせいかもしれないなあ。自分のことを棚に上げるのもまた、なかなか治らない悪い癖だから。

 というわけで、不運にも今週号の「Science」誌に掲載された論文は、僕の読むに耐えない状況のために、ざっと目を通したにとどまった次第。・・・あ、一応「本庶研」の論文はチェックしました(N君)。


Friday, January 19, 2001
 まだまだ寒さの厳しさかげんも山を登る途中・・・と思っていたら、最近はそれほど気温も下がらず、今日はといえば一日中雨が降っていたりして、チャールズ川を覆っていた白い雪はすっかり解け、また川面にボストンの夜景の重なりが戻ってきた。といって、川の流れが戻ってくるにはほど遠く、まだまだ凍てついたままの氷が表面を埋め尽くしてはいるが。

 フランスのヒューマン・フロンティア財団からのフェローシップが、5月末に期限切れとなることもあって、今は次のフェローシップの申請書の準備にも追われている。

 幸い、6月からボスの研究費から給料を支払ってくれるという申し出を当のボスから受けているのだけれど、自分の研究費を持って自分が主導権を持って実験を進めていくという気持ちよさは、一度味わってしまうとなかなか手放せないもの。おまけに僕は、学術振興会から支援を受けた3年間とアメリカに渡ってからのこの2年間で、この境遇にもうすっかりはまってしまっている。まあ、若きボスの援護射撃という切実な事情もなきにしもあらずだけれど。

 アメリカでは、ポスドクを2年間経験した時期が一つの節目となるようで、かつ5年以内の経験を条件に研究費を支給している財団がいくつかある。学位を取得してから2年以内の、いわゆる新米ポスドクでは、今の僕の研究費のように年間せいぜい5,000ドルが援助される程度だけれど、2年の経験を積むと、いっきに倍増されるとあって、これは申請書を書く手にも力が入るというもの(まあ、実際にはパソコンのキーボードを叩いているのだが)。

 研究費を申請するには、たいてい推薦者が3人必要なのだが、これまた都合の良いことに、僕にはボストンに3人のボスがいるのだから、こんな恵まれたケースを利用しない手はない。

 というわけで、果たして自分の研究がいったい世の中にとって何の役に立つのかを考える日々を送っている。やはりどの財団だって、役に立ちそうもない研究にお金を出すのは、勇気のいることだろうから。

 僕の研究が、とりたてて役に立ちそうもないものだから慌てて言葉をひねり出しているわけでは決してなく、さらに何か見逃していることはないだろうかと考えるのにも良い機会であるし、なにより、そんな時間が楽しいのである。研究者冥利に尽きる・・・かな。


Wednesday, January 17, 2001
 昨日の午後7時から始まったいつものミーティングは、今日の我がプレゼンテーションの準備をさせないがごとく、きっちりと3時間の長丁場となり、おまけに、今日午前中にはバイオロジーのラボのミーティングがあってそちらにも参加。まあ、直前になると何も手がつかなくなって、いわゆる一夜漬けというのはしようにも出来ないというのは昔からの性格だから(おかげで、暗記物の試験の成績はいつも悪い・・・というのも本末転倒な話だが)、そもそもの状況としてはいつもとあまり変わることはない。

 午前中のミーティングが終わると、すぐに地下鉄に飛び乗って、一路かつて通っていたベス病院へ。今日の発表は正午に始まった。

 1年間のベス病院での仕事の内容を、30分で話せとのこと。11月には学会での発表もあったことだし、内容そのものにはそもそも不安を抱いていなかったのだが・・・。

 もともと僕の発表は冗長だと言われることもしばしばだけれど、「30分」という時間ばかり気になって、ストーリーのある内容の重要だと思われるところだけ取り上げて喋ろうとしたものだから、大変なことになってしまった。

 論理の飛躍がありすぎたと見えて、聞いている方は何のことやらと思う箇所が多くあったらしく、結局質問責めに。自分の言いたいことは半分も言えなかったのに、時間は倍の1時間もかかってしまうという結末。

 昔、先輩に「自分の研究を5分で何も知らない人が納得できるように伝えることが出来たら、お前も立派な科学者だ」と言われたことがあるけれど、いやはや今日の状況からすれば、ほど遠き果て。

 どんなに素晴らしい研究でも、自分以外の第3者がその素晴らしさを認めてくれなければ、本当に良いものとは言えないはず。プレゼンテーションは、まさにその第一歩であるだけに、大切にしたい経験なのだが。

 またまた、足が空回りして、こけてしまった感じ。今年の目標の「勇往邁進」は、ちと荷が重いのか、それともこれぞまさに「邁進」なのやら。


Monday, January 15, 2001
 「Martin Luther King, Jr.'s Birthday」で祝日の今日は、雨かと思えば雪になり、雪が積もるかと思えば冷たい雨に変わるという、なんとも落ち着かない天気。

 そんな中、糖鎖と免疫系との関係に関するシンポジウムが、ハーバード大学医学部でつつがなく執り行われ、風邪ウイルスを駆逐しつつある体にむち打って参加した。また新たな仲間となりそうな予感のする面々と、いろいろな議論が出来たのは収穫。

 ところで、最新号の「サイエンス」誌に、アカゲザルの成熟卵母細胞へレトロウイルス遺伝子を導入し、形質転換サルが生まれたことを報告する論文が掲載された。

 具体的には、成熟卵母細胞224個の卵黄周囲間隙に複製能のない偽性レトロウイルスベクターを注入し、その後、細胞質内へ精子を注入して受精させたところ、緑色蛍光蛋白(green fluorescent protein: GFP)を発現する形質転換アカゲザルが生まれたというもの。また、染色体上の遺伝子を調べるために、サザンブロット法という方法(常套手段)で確認したところ、妊娠73日で流産した一卵性双生児に由来する組織は全て導入遺伝子を有していたそうだ。

 「ANDi(アンディ)」というこのサルの名前は、逆から読むと「iDNA(inserted DNA)」、つまり「遺伝子導入済み」。この名前は、クローン羊の「ドリー」に匹敵するほど、今後いろいろなところで語られていくに違いない。

 というのも、この報告は、取りも直さず大腸菌や酵母などといったレベルではなく、我々ヒトですら遺伝子導入によって「形質転換」することができる技術が確立してしまったことを、目の前に突きつけているからである。

 これまでは、一般の人たちもそして我々科学者も、不可能だということを拠り所として「ヒトの遺伝子操作やクローンは現実的ではない」と、遠くを見つめて安心していたけれど、もはや悠長に事を構えているわけにはいかなくなり始めている。つまり、生命倫理という「科学技術として出来ることと、してはいけないこと」を峻別する確固たる基準が求められている。

 おりしも、日本には「総合科学技術会議」という組織が新設の内閣府に創設された。この組織の意義とその役割は、これからの日本の科学行政の方向を決める上で、本当に大きなものとなると思う。

 そんな折り、その総合科学技術会議の方から意見を求めるメールが僕のところに寄せられた。せっかくのチャンスなので、考えるところをいろいろと伝えようと思うけれど、これを読んでいるみなさんからも何か意見があれば添えたいと思うので、どうぞお気軽にお知らせください。

【今日の科学情報】
Chan, A.W.S. et al.
Transgenic monkeys produced by retroviral gene transfer into mature oocytes.
Science 291:309-312.(2001)


Saturday, January 13, 2001
 日本から帰ってきて、やけにラボで風邪が流行っているなあとは思っていたんだけれど・・・。

 どうやら、どこぞの国の物とも分からぬウイルスに、我が身もさらされてしまったようで、昨日から体調は最悪である。

 来週の月曜日には参加しなければならないシンポジウムがあるし、水曜日にはハーバードのベス病院で研究発表をする機会を設けてもらっている。なんとも息切れを起こしている場合ではないのだけれど・・・。

 こんな時、一日中ベッドの中で過ごしてすっかり回復を待つのが良いのだろうけれど、ずっと寝ていると頭がガンガンと耐えられない痛みが出てくるという我が性分は、まさに頭痛のたね。はあ、それにしても早く治さねば。

 年の初めにちょっと張り切りすぎて、疲れがどっと来たところで、ウイルスに隙を見せてしまったのだろうか。徒競走で気持ちは前に前にとあせるのに、足の回転がついてこなくてばたっと倒れる、まさにあの心境。

 何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」とはまったくもって至言なり。


Thursday, January 11, 2001
 昨日のこの欄に「たおやか」という言葉を使ったのだけれど、果たしてこうした表現を使って良いものかと不安にも。漢字で書けば女偏に弱いと書いて「嫋やか」。

 姿や動作などが、美しくしなやかでやさしいようすを表わす、なんとも便利な表現で、「たお」というのは、竹が雪の重みにしなうようすを表わしている。ちなみに、たおやかな女性を古くは「たおやめ(手弱女)」といって、男性の「ますらお(益荒男)」に対して使われていた。

 文字を見ればわかるように、こうした表現は多分に男女差別の雰囲気の残るものではある。女性はおしとやかでなければならない、男性はたくましくなければならない、と。であるから、こうした表現に「美しさ」を見てしまうのは、「男尊女卑」的思想につながることやもしれず、問題のあることなのかもしれない。

 しかし、と敢えて言葉を挟むことが出来るなら、僕は日本人がかつて表現しようとした美しい言葉を、日本人の素養として使い続けることに、現代との意識のずれを感じとる意味も含めて、大切なのではないかと思っている。もちろん、僕は男女平等に異論を唱えているわけでもないし、そうした表現によって不快に思う人がいるのであれば、使うべきではないとは思うけれど。

 和英辞書で「たおやか」を英訳すべく引いてみたら、項目そのものが見つからなかった。やっぱり、もう時代遅れの古語となってしまったのだろうか。


Wednesday, January 10, 2001
 大学院生の学位論文の指導にあたって3日目となる。こう言っては一般のアメリカ人女性に失礼かもしれないが、担当している女学生は、アメリカ人とは思えないほどにたおやかな学生さんで、こちらの何とも遠回りで要領の得ない説明を、いぶかしい顔一つしないどころか、ときおり適切な表現を推量してくれたりして、まずは円満に事が運んでいる。

 英語という異国の言葉を使って、物事を適切になおかつ明確に説明するというのは、本当に難しい。もし間違った表現に気付かないまま伝えてしまえば、実験の失敗という後々に目に見える形で自分に跳ね返ってくるし、何より伝え方如何ではその学生さんのスタートダッシュの推進力が鈍ってしまうことにもなる。

 しかし、とは言ってもそんな責任感だけで突然英語力が飛躍的に伸びるはずはなかろうし、だいいち、学生さんもその辺の事情は百も承知と見えて、日に日に机の上には教科書が増えていっている。

 全ての責任は、僕をこの役に任命したボスにあるのだから・・・という投げやりな態度では、ちょっといけないか。

 経験を積ませてもらえる幸運に感謝しつつ、精進、精進。


Monday, January 8, 2001
 10日ぶりの研究室で、果たして英語は大丈夫かと心配しながら、朝は部屋に入るのに結構ドキドキしてしまったけれど、意外や相手の顔を見れば言葉は出てくるもので、いわゆる『杞憂』に終わって一安心。

 まあ実際には、そんな心配をしている暇はないといった様相で、次から次に用件が出てくるものだから、2001年の仕事始はまさに忙殺と言う言葉がふさわしいスタートとなった。

 幸い、僕は「時差ぼけ」とは無縁の特異体質だから、体調はいたって快調。昨晩午前1時頃床について、いつものように朝7時前には起き、というよりも7時までぐっすり眠って出勤。ふだんと変わらぬ1日が流れた。

 さあて、まずは突き進むための足場固め。スタートが肝心。


Sunday, January 7, 2001
 成田空港を飛び立ってからちょうど16時間後。シカゴ経由でボストンの我が家に帰ってきた。帰りは気流の関係で行きよりは短時間で帰ってこれるものの、やっぱり、日本は遠いなあ。

 今回の「帰省」では、母方の祖父の「米寿」のお祝いをして、仙台の下宿のおばさんの霊前に線香を供え、そして我が家でもちょっとしためでたいことがあって、なかなかに忙しい日々。

 あまりゆっくりする間もなく毎日が過ぎてしまって、ちょっとあわただしい21世紀の幕開けとなった。おかげで、旧知の友達などにはほとんど会えなかったのがちょっと残念。まあ、田舎が辺鄙なところだけに仕方ないのだが。

 でも、20世紀と21世紀の節目に天栄村の田舎に帰省できたのは、良かったと思う。今、決意もあらたにアメリカに戻ってきて、また明日からバリバリ実験をしようという気持ちにあふれているのだから。

 今年の決意は『勇往邁進』。


Monday, January 1, 2001
あけましておめでとうございます

 みなさんの21世紀はどのように扉が開け放たれましたか。

 天栄村の正月は、粉雪の舞い散る中、気味の悪いくらいに静かに新世紀が始まりました。この村で生まれ育った身には、この普段となんら変わることのない飾り気のなさが、なんとも心地好い21世紀のスタートとなりました。

 どうぞ、今年もこのホームページともどもよろしくお願いいたします。



最終更新日:2001年 3月 2日