備忘録・2001年5月

日々の出来事やその日に仕入れた情報をお届けします

Thursday, May 31, 2001
 今日から3カ月に亘ってソフトボールのリーグ戦が始まった。これはMITに関係する人たちが集まってそれぞれのレベルに応じてリーグが組織されたもので、約80チームが参加しているそうだ。先週の試合を雨で流して、今日は我々のチームの初戦。

 僕はチーム唯一の日本人ということで「1番ライト」とのお達し。こんなところにもイチロー効果が表れているらしい。試合中も何人かのアメリカ人からイチローのことを熱心に質問されたりした。

 そのイチローはといえば、老舗総合スポーツ誌としてアメリカ雑誌界全体でも高い地位にある「Sports Illustrated」誌のついに表紙に登場。日の丸を意識したと思われる白地に赤い丸を背景にバッティング後1塁に走り出すイチローの写真が合成されている。また、4ページにわたる記事の中では「ウィザード(魔法使い)」と紹介され、その活躍はまるで魔法を見たかのような驚きなのだそうだ。

 そんなイチローに重ねられるには荷が重すぎると言うか、とうてい無理な話と言うか・・・。似ても似つかない結果はまあ今更驚きもしないけれど、チームも大敗スタートとなって、なんともはや散々な。

 さて、今日はMITのポスドクとしての初給料日。こちらアメリカでは、給料の支払いは週給つまり1週間分を手渡しされることが一般的なのだけれど、MITはアメリカでは異例とも言える月給制。しかも我々ポスドクの月給は、月初め(厳密には前月の末日)にその月分が支払われるとのこと。つまり、今日でこれまでのヒューマン・フロンティア所属のフェローの身分を終え、明日6月1日からスタートするMITのポスドクとしての未来の1カ月分の給料が、今日支給されるというわけ。

 もっとも、この情報は実を言えば今日の朝までまったく知らなくて、秘書のところにどうやって僕は給料をもらえばいいのだろうと質問に行ったら「おまえ、誰からも聞いてないのかい。ほれ、まさに今日が給料日だよ。すぐにオフィスに行ってペイチェックをもらって来なさい」なんてのたまわれてしまった。

 これまでは年棒の半分を半年ごとにドサッと銀行の口座に振り込まれていたから、なんだかこうして毎月分を小切手でもらうというのも新鮮なもの。もっとも、これまで免除されていた所得税が、しっかりと天引きされているあたりあまり嬉しいことばかりでもないが。


Wednesday, May 30, 2001
 生物学科のKhorana教授から化学科のボスに連絡があって、ラボのセミナーのために海外(ベルギー)から演者を呼んでいるので聞きに来ないかとのお誘い。そこで、ボスからさらに僕のところに一緒に聞きに行こうという誘いがあって、2人でそのプライベートなセミナーにお邪魔した。

 Khorana教授と言えば1968年にノーベル医学・生理学賞を受賞し、79歳になる現在も現役バリバリの大科学者である。彼は塩基配列の決まった人工DNAや人工RNAの合成に世界で初めて成功した歴史上の人物。また試験管内でのタンパク質合成に成功していたNirenbergと協力して64種類のトリヌクレオチドの合成に成功し、さらにこれを応用してアミノ酸コードの配列を決定し、遺伝暗号表の三つ組塩基が各アミノ酸に正確に対応していることを証明したという、まさに現在の分子生物学・生化学の基礎を築いた人物である。

 この方、本当にもう80歳近いのかと疑うほどに、その俊敏な行動のみならず、質問などを聞いていても何とも若々しい。そもそもこのセミナーにしても新たな分野への挑戦への下調べのためのものなのだから、まったくもって恐れ入る。まさに目標としたい科学者の一人。

 ところで、またこんな大御所になぜに我がボスは声をかけてもらえたかと言えば、おそらく最近の大きな勲章がKhorana教授の目に止まったのに違いない。というのも、現存する最も古い科学者集団の組織で、約9万人という膨大な会員数を誇る「Sigma Xi」なる学会の今年のレクチャーを、我がボスProf. Seebergerが担当したのである。このレクチャーの演者は毎年1人だけ選ばれるというもので、まさに名誉なことらしい。

 というわけで、注目度上昇中のラボに在籍している幸運をかみしめつつ。

 さて、今日はさらに思いもかけぬ方との面会があった。

 夕方になって、指導している大学院生がバケーションで訪れているという彼女の御両親を研究室に連れてきた。彼女はシアトルの出身だから、ご両親も当然シアトルからはるばる来られたに違いない。以前聞いた話では、お父さんはシアトルを本拠地とするボーイング社に勤める方で、ボーイング社製の飛行機の自動操縦装置やら自動衝突回避装置やらを開発した、その道ではちょっとした有名人だとか。

 ラボに現れるやこちらの自己紹介を始めようとするが早いか、「君のことはいつも聞いているから良く知っているよ。といって、口をついて出てくるのは良いことばかりだから安心しなさい」との威厳あふれるお父さんの弁。となりでお母さんがニコニコと笑っているのが気にならないでもないが、まあそれは良かった。きっと彼女のことだから、最近ちっとも実験の方がうまく進んでいないのが、少なからず僕にも責任があることは言っていないに違いない。

 しかしまあ、どこでどんな風にうわさされているか、何とも奇妙なものだなあ。


Tuesday, May 29, 2001
 すっかり忘れていたのだけれど、一昨日の5月27日はちょうど2年前に初めてボストンの地に降り立った記念の日。

 たしか1年目のときは、毎月の27日が来る度に「1カ月が過ぎた」「3カ月が過ぎた」「半年が過ぎた」と気になっていたものだが、いやはやてんで気にもならなくなってきたのは、もうすっかりアメリカに馴染んで来た証しだろうか。

 というわけで、昨日からアメリカ生活も3年目に突入し、そろそろこちらでの仕事の結果も気になり出した今日このごろ。


Monday, May 28, 2001
 先日、日本の方からメールをいただいて、疲れ気味のときには豚肉を食べればよいと助言していただいた。豚肉の主な成分はたんぱく質と脂肪で、まあこれは他の食肉と同じでこれと言って特別なことは無いが、豚肉の大きな特徴はビタミンB1が豊富なことだとか。牛肉のなんと、約10倍の量が含まれるとのこと。

 ビタミンB1には疲労回復効果があるし、そのうえ鉄分・リン・カリウムも多く豚肉には含まれるので、貧血を防ぎ、血行をよくする働きもあるそうだ。なるほど、日本一の長寿を誇る沖縄県の代表的な料理にはどれも豚肉がふくまれているのも納得。

 というわけで、MITで昼も夜も利用していたカフェテリアが来週の日曜までなぜだか閉店とのことで、このところちょいとばかりハンバーガーに手を伸ばすのを止めてポークを探してはいるのだけれど、これがなかなか遭遇しないのが世の中の難しいところ(?)。まあ、スーパーに行けば「生」の豚肉が並んでいるのは知ってはいるが・・・。

 さて、先日ボストンを訪問しに来た友達からおみやげにもらった静岡の新茶を湯呑みに注ぎながら、その澄んだ緑色の液体を眺めていてふと、「この緑色のお茶の色に親しんできた日本人の中で、いったいこれまでどのくらいの人が『茶色』という色に疑問を感じてきたのだろうなあ」と思ったり。

 「茶色」という色は、いわゆるブラウンの色を指して使われているけれど、茶色がまさに「お茶の色」という意味であるならば、紅茶や中国茶ではない日本独自のお茶の飲み方である緑茶に親しんでいる日本では、「茶色」が「緑色」の親戚くらいの色をしていてもいいはずだと思うのは僕だけではないはず・・・たぶん。

 そもそも、中国語では色の名前は鉱物から名付けられることが多く、またフランス語では食べ物に由来する名前が多いけれど、日本語では伝統色の色名の実に7割近くが植物起源で占められていることが知られている。そしてその植物系色名のうち、4割近くは植物染料に由来するもので、それが日本という国柄を示す特色だとされている。

 そこでこの「茶色」。実は伝統的にお茶の葉は染料に使われていて、灰汁(あく)で媒染した色こそがまさに「茶色」の典型だそうだ。ちなみに石灰で媒染すると「金茶色」になり、鉄で媒染したものがいわゆる「お歯黒」である。

 染織の世界では「茶色」を出すために、お茶の葉の他にも楊梅や阿仙薬といった染料が使われるけれども、明度の高い渋くて粋な「茶色」を出そうと思えば、染織家は迷わずお茶っ葉を使うのだそうだ。

 さまざまな横文字の色が氾濫している現代と違って、微妙な色の違いをさまざまな植物に例えてきた昔の日本人は、案外「茶色」がブラウンの色をしていることを不思議がるなんてことはなかったのかもしれないなあ。


Wednesday, May 23, 2001
 MITと製薬会社のメルクとの共同プログラムに応募して、研究費の申請をしていた結果の通知が届いた。おそるおそる封を開けると、そこには「I am sorry to inform you....」で始まるごく短い文章が、手紙の真ん中にちょこんと座っていた。

 というわけで、儚くも落選。「あまりにも甲乙つけ難い候補者がひしめく中で、これらの諸君すべてに援助の手を差し伸べられないことに、私どもは大きな失望を感じている」なんてセリフがしたためられているあたりいかにもアメリカだなあ、なんて妙な感心をしているようでは、まだまだ当選するほどの執念が足りないということか。

 まあ、いつもいつもうまくいくとは限らないから。今回は、研究費申請をするための良い練習になったと思って、次回の肥やしとすることにしよう。なにより、手紙の最後の署名は、このプログラムの審査委員長でノーベル賞受賞者のフィリップ・シャープ教授の直々のものだから、宝物が一つ増えたということにして。

 さて、前回の備忘録がヘルペスの話題を取り上げたまま止まっているものだから、様々な憶測が飛び交っているようだけれど、体の方はいたって元気でして、ただ2週間後に迫った日本行きとその後のイタリアでの学会までに区切りをつけなければならないことがわんさとあるのが、そもそもこのところの体たらくの元凶。

 明日から3カ月に亘って毎週木曜日に行われるMITのソフトボール・リーグに参加する化学科選抜の一員としてエントリーしていたり、化学科のラボ対抗バレーボール・リーグのメンバーになっていたりするくらいだから、まったくもって体は元気である。


Friday, May 18, 2001
 いやはや「ミイラ取りがミイラになった」とはこのことを言うのかもしれないなあ。

 僕の研究はといえば、広く哺乳類の細胞がその表面に備えている「ヘパリン」という炭水化物(糖鎖)に関わるもろもろのこと。そのヘパリンに関して、あるウイルスの体内への感染に重要な役割をそのヘパリンを合成する酵素が果たしていることを、僕の研究室でつきとめたのは一昨年のこと。

 そのウイルスである「ヘルペス」にどうやら現在僕の体は蝕まれてしまったようで・・・。

 と書くとなんだか深刻なことになっているようで誤解を与えてしまうけれども、症状はといえば、鼻から上唇にかけて皮膚が爛れたようになっているだけのことで、まあ別に大騒ぎするほどのことでもないのだが。

 このヘルペス・ウイルスは、過去に一度感染してしまうと、あとは神経細胞に潜伏したまま一生をその人と過ごすウイルスだそうで、何ともやっかいな輩ではある。

 といって、別に研究室でこのウイルスを実際に僕が扱っているわけではなく、つい最近僕が感染したということではないので、ラボでは誰も気にもかけてくれない状況。

 昨日まで4日ほどボストンに滞在していた東北大学の同級生と、あまりの懐かしさにちと遊びすぎたかな。


Saturday, May 12, 2001
 いやあ、やっと勝ったよ。というのはいつものレッドソックスの話ではなく、サッカーのニューイングランド・レボリューションの話。なにしろ、開幕からここまで6戦して全敗という12チーム唯一のチームだっただけに、今日の試合で優勝候補筆頭のシカゴ・ファイヤーに延長戦の末に勝利したときには、おもわずガッツポーズ(といってビデオ録画での話だけど)。

 アメリカのメジャーリーグサッカー(通称MLS)は、相変わらずプロスポーツの中でさしたる注目もされず淡々と今年7年目のシーズンを送っている上に、試合を見れば明らかにそのレベルたるやお粗末なものである。けれどもそこは腐ってもサッカーであるから、ぐるっと眺めてみればまあそこそこに楽しみはあるもの。

 例えば今日の対戦相手のシカゴには、以前には柏レイソルにいた元ブルガリア代表で国民的英雄のストイチコフがいるし、タンパベイ・ミューティニィーにはコロンビア代表のライオン丸ことバルデラマもまだ現役で活躍している。アメリカ・ワールドカップでアメリカ代表躍進の原動力となったゴールキーパーのメオラは、しばらく当時の影を潜めていたけれども、昨年は見事に復活して所属するカンザスシティー・ウィザーズを優勝に導いたりと、まあそれなりにおもしろいのである。

 我ら(?)のレボリューションといえば、スーパースターだったジョーマックス・ムーアがイギリス・プレミアリーグのエバートンに移籍し、監督兼選手だった元イタリア代表ゴールキーパーのゼンガは引退、フォワードの要のビーズリーとウィナルダは揃って今日の対戦相手のシカゴに移籍と、もうふんだりけったりで今年の成績もまあ納得ではある。

 ところで、いつもの野球の話にもどって、シアトルのイチローの活躍はまったく衰える気配もなく、今日もサイクル安打まで期待された4安打を放って連続試合安打記録を18にまで伸ばした。これはマリナーズの新人記録だけれど、アメリカン・リーグの新人記録といえばレッドソックスのガルシアパーラーが記録した30試合。ついでにいえば、メジャーリーグ記録は、ヤンキースのディマジオが56試合という記録がある。

 そんなイチローの勢いが伝染しているのか、チームも4月の勢いを取り戻してきたようで、アメリカン・リーグ西地区の他のチームの低迷と相まってこれはもう地区優勝は確定といった気配すら漂っている。

 今年のマリナーズのような快進撃はメジャーリーグでも珍しい話で、阪神タイガースが優勝した前年にホームランのショーケースと言われたデトロイト・タイガースが4度目のワールドチャンピオンに輝いたときにそっくり。まあ、マリナーズは一度もリーグ優勝すらしたことのないチームだけれど、24年前にマリナーズと同時に誕生したトロント・ブルージェイズは1992年と93年にワールドシリーズ2連覇を達成しているだけに、そろそろその時期かなという気もするが。

 そういえば、現在のマリナーズのジェネラル・マネージャー(GM、選手の獲得やドラフト選手の指名などの権限を持つチームの浮沈を握る人)のギリックさんは、ブルージェイズのGMを長らく勤めて黄金時代を作った人物だから、マリナーズのワールドシリーズ出場もまんざら夢ではないかも。

 いやいや、その前にレッドソックスが立ちはだかっているはずだから、そうは問屋が卸さないが。


Friday, May 11, 2001
 アメリカの民間研究所からDNA試料などの研究材料を盗み出して日本に持ち込んだとして、理化学研究所の日本人研究者とカンザス大助教授の日本人男性が産業スパイ法違反の罪でアメリカ連邦地検から起訴され、遺伝子産業スパイ事件として波紋を広げている。

 この事件で捜査当局は遺伝子サンプルとともに膨大な技術情報が不当に持ち出されたことを重視しているそうだけれど、我々のように海を越えてアメリカに渡り世界中の仲間とともに研究をしている目的の一つがまさに技術情報の共有であり、いずれは自分の国に持ち帰ってそうした知識を共有するのがとどのつまりは科学の発展につながると信じているのだから、こうした事件が今後どのような影響を与えていくのかは対岸の火事とのうのうと構えてもいられないかもしれない。もちろん、今回の事件に関しては裁判が継続中であるから、起訴されたとおりの事実があったかどうかはまだまだ霧の中ではあるが。

 産業スパイ法というのは、バイオ、航空宇宙、情報通信、半導体などのハイテク技術の国家的保護を目指して、従来よりも罰則を強化して1996年に制定されたもの。ブッシュ大統領はクリントン前大統領以上にハイテク技術の流出に神経をとがらせていることで知られていて、先日もコンピュータの輸出規制の見直しを発表したばかりだ。

 留学先との権利争いはよく聞く話だけれど、このように政府までを巻き込むとなると、研究者一人一人のふるまいなり道徳観、倫理観なりが、これから先より重要度を増してくるということになる。

 野茂のノーヒット・ノーラン達成のときにも触れたけれども、やっぱり「人徳」が求められる世の中なのだろう。


Wednesday, May 9, 2001
 MITの生物学科では今日と明日の二日間を「Koch Building Retreat(総退散)」と題して、ボストンの南にある全米有数の観光地であるケープコッドでの1泊2日の合宿が企画された。ちなみにKoch Buildingは生物学科のあるビルの名前。

 この合宿、参加者全ての一切の旅費がタダという太っ腹な企画。合宿中はそれぞれのラボの研究の発表が行われて、なかなかに楽しく身のあるもののようだ。

 といって僕はと言えば置いてけぼりをくったのだけれど、それも仕方のないことで、今日は化学科のラボのボスのSeeberger教授が3年前にMITにラボを構えて以来初めてのドクター誕生の日。つまり来月に卒業を控えた大学院生の学位論文審査会が今日行われて、その後はラボのメンバーあげてのお祝いということになっていたのだから、合宿どころではない。

 さすがに今日はどの顔も晴れ晴れとしていて、大学院生はそれぞれ来たる自分の番を照らし合わせているかのようで、何とも良い笑顔があふれていた。

 ところで、1次会となるお祝いをMIT構内でしばらく執り行った後、全員で外へ繰り出して2次会へ。タイミングの悪いことに僕はちょっとばかり今日中にやらなければならない実験があって、その会場へは2時間ばかり遅れていくことになった。後で大変なことになるとも知らずに・・・。

 会場に選ばれたメキシカン・レストランに遅れて到着すると、そこで僕を待ってましたかというように、「では、Seeberger研最初のドクターを祝して、このラボの伝統としてずっと受け継がれて欲しい儀式を始めます」の声に遅れて運ばれてきたのは、ダブルショットのテキーラ。

 テキーラはメキシコ名産の蒸留酒で、メキシコに特有の竜舌蘭というサボテンの樹液を採取した後、それを放置しておくと出来るプルケという濁り酒を蒸留して作ったスピリッツ(蒸留酒)。アルコール度数は40度ほど。

 このテキーラの粋な飲み方は、コップのまわりにつけられた塩(普通はサボテンのまわりについているグサノ(毛虫)の体液を乾かして作る)をまず口で舐めた後にテキーラを一気に飲み干しさらにレモンを一かじり、というもの。一気に飲む標準の量をワンショットとして、ダブルショットはその二倍ということになる。

 「じゃあ、このテキーラを新米ドクターのために飲んでくれる・・・『トミオ』に拍手!!!」

 ウォー!!!・・・って、トミオ?!

 コップ半分のビールで顔全体を赤くするのに十分な人種に、テキーラとは。まあね、めでたい席だしね、みんなもこんなに喜んでるしね、今年の僕の目標は「勇往邁進」だしね、こんな時じたばたせずに突き進む武士道が血に染み込んだ日本人だしね。

 というわけで、栄えあるこのラボの新しい伝統はこの日本の山奥から出てきた不肖によって作られたという次第。

 テキーラの味は・・・なにしろ鼻をつまんで(?)一気に喉の奥に流し込んでしまったから、味といえば初めの塩のしょっぱさと、最後のレモンの酸っぱさと・・・。味わうのはまたの機会にでも。


Tuesday, May 8, 2001
 100年をさかのぼった今日1901年5月8日は、レッドソックスの前身であるボストン・アメリカンズがフィラデルフィア・アスレチックスを相手にボストンで初めてホーム公式戦を開催した日。この日の先発ピッチャーは、19世紀と20世紀をまたいでノーヒット・ノーランを達成した唯一の投手、サイ・ヤング。この記念すべき開幕戦は、ボストンが12対4で勝利をおさめている。

 ちなみに、レッドソックスと名乗るのは1904年のことで、それまではアメリカンズを始めとして、サマーセッツ、ピューリタンズ、ピルグリムズ、プリマスロックス、スピードボーイズと様々に名前がころころと変わっていた。また、ボストンでメジャーリーグの試合が初めて行われたのは1876年のことで、これは現在はアトランタに本拠地を移したブレーブスがボストンのチームであったときの話。ブレーブスは1952年までボストンのチームだったが、1953年にミルウォーキーに移った後1966年からアトランタに。

 さて、20世紀と21世紀をまたいでノーヒット・ノーランを達成した唯一の投手、野茂英雄が登板した今日のレッドソックスは、イチローがリードオフマンをつとめるシアトル・マリナーズを相手に、奇しくも100年前と同じ12対4で勝利をおさめた。

 イチローのボストン初見参となったこの試合を見に、今シーズン3度目のフェンウェイパークのゲートをくぐったのだけれど、対シアトルのカードとしては異例ともいえる超満員。それもそのはずで、レッドソックス広報によれば、今日からの3連戦はもうだいぶ前にチケットが完売となったそうで、ヤンキース戦を除けばフェンウェイの開幕戦に次ぐ人気だとか。マリナーズといえば、24年前に創立されて以来、ワールドシリーズどころかアメリカン・リーグの優勝すらない球団。そのチームがボストンでこれだけ人気を集めるのは、イチローの活躍とその勢いに乗った今年の好調さのなせるわざかな。

 イチローはといえば、実力のバロメーターともいえるブーイングを球場全体から浴びて、それでなお活躍するあたりやはりただ者ではないようだ。もっとも、今日は日本人の観客がそれは石を投げれば必ず当たるというほどいたようで、イチローが打席に立つやあちこちからカメラのフラッシュが光っていたので、全員を敵に回してという状況ではなかったけれど。

 日本でも何度かイチローは見たことがあるけれど、体の線が細そうでいてその実がっしりとしている印象があったのだけれど、メジャーリーグの選手の中に入ってしまうと、やはりちっちゃな日本人という感じで、特に198cmのデレック・ローと対戦したときには、180cmのイチローが本当に小さく見えた。その子供のような選手が大の大人を相手に活躍する当たり、ますますすごいことになるのだが。

 ところで、今年は本当に日本人選手の活躍が目立つけれど、今週のBaseball Weeklyのトップページはボストンの野茂と大家の投球シーン。まあ、タイトルが「これは春の珍事か・・・はたまた本物か」というあたり、まだまだ頑張らねばならないようだけれど。


Monday, May 7, 2001
 昨日の日曜日、アパートの近くをジョギングしていると、向こうから同じくジョギングしながら近づいてくる大家さんに遭遇。擦れ違いざまに挨拶をして走り去ろうとすると、思い出したように呼び止められて何やら深刻な顔で近寄ってきた。

 おもむろに口をついてでてきたのは、「そう言えばお前、来月からの契約はどうするつもりだ」とのお達し。そういえば、アパートの契約は今月一杯で切れてしまうから、契約更新をしなければならなかったのだった。あわてて「もちろん契約延長するつもりだけど」と答えると、なら良いとばかりに走り去っていく。

 おや、これで契約延長の手続きは終わりかなとふと思いを巡らせて、そういえば家賃のことを全然聞かずに再契約の約束をしていたことに気付き、あわてて大家さんの後ろ姿を追う。来月からの家賃はいったいいくら上がるのか聞き忘れたのだけどと聞くと「え、同じだけど」と、さもそんな質問をされるのは心外だと言わんばかりの顔でぼそっとつぶやきたもうた。いや、もちろん一切の値上げが無いことにはもろ手を挙げて大歓迎である。

 去年は一気に20%も家賃が上がったことを受けてこの時期に新しいアパート探しをしてここにたどり着いたのが、なんだか遠い世界の出来事であったかのような変わりように、ボストンも奥が深いなあと思わずにはいられなかった。何はともあれ、つくづく良い人たちに囲まれて暮らしていることを再認識。

 さて、メジャーリーグでのイチローの活躍はもう完全に全米規模に広がっていて、ここボストンでもたとえ西海岸のチームの選手であろうとも、野球好きなら名前ぐらいは知っているという存在にすらなっている。スポーツニュースでも彼の名前が出ない日はないくらいだからそれも納得。というのもイチローの成績たるや、今年から新設された月間新人MVPのア・リーグ第1号に選出されるのも当然の、打撃部門9冠という華々しい成績を収めているのだからまったくもって恐れ入る。

 安打数がボストンの20億円プレーヤーのラミレスと並んでア・リーグ1位であるのを筆頭に、得点圏打率や2安打以上の試合数、はたまたもっとも少ない三振率など、好打者としての指標となる成績が俄然ピカイチ。なによりもここまで31試合を戦ってヒットを打っていない試合はわずか2試合という驚異的な数字も残して、これ以上無いほどの順調なメジャーデビューを飾っている。

 そもそもイチローはシアトル市民に好意的に受け入れられたわけではなかった、と聞いている。果たして結果が残せるのかまったく未知の東洋のプレーヤーに破格の契約金を結んだ上に、シアトル市民にとっては誇りとも言える「51」という背番号を見知らぬ輩に献上するとあって、心中穏やかでない人たちがたくさん居たそうだ。ちなみに背番号「51」は3年前までマリナーズのエースとして君臨し、今もアリゾナで衰えることなく活躍している速球王のランディー・ジョンソンのつけていた番号である。

 しかし今やイチローが守るライトは市民から「エリア51」と呼ばれているそうだが、つまりは背番号「51」が新しい主人のものとして定着してきていることを物語っているのだろう。ちなみに「エリア51」というのは、アメリカ軍がUFOを隠しているなどと噂されている秘密基地の名前で、イチローが守るこのエリアには一歩たりとも足を踏み入れることは出来ないということらしい。

 さてさて、明日からレッドソックスはマリナーズとの3連戦。イチローはここボストンに初見参となるが、初戦にはすっかりボストンの新しい顔になった野茂との二度目の対戦が待っている。

 といって僕はもうすっかりボストニアンになり切っているから、先月の月間新人MVPが発表されたときも、ボストンのヒレンブランドが次点に泣いたのを見てとっても悔しかったりしたのだけれど。なにしろこの選手、昨年の2Aから一気に3Aを飛び越して今年からメジャーで活躍をするという常識破りの選手で、高校まではサッカーの選手だったこともあってまったくの無名のシンデレラボーイなのだ。月間新人MVPがイチローに贈られた理由の一つに、ヒレンブランドが4つのエラーを記録しているのに対してイチローは0だというのがあったけれど、3塁手とライトを比べてもねえ。

 せめて明日から3試合はイチローに一本のヒットも出ませんように。・・・こんなことを書いたら日本のみなさんから「非国民」呼ばわりされるだろうか。


Thursday, May 3, 2001
 築100年をゆうに超える我がアパートには、冷房設備が何にもついていないのだから、熱帯夜を経験するのは真夏だけでもう十分なのに・・・。そんな愚痴が口をついて出てくるほどの陽気がいままさにボストンを襲っている。昨日は5月2日の最高気温記録を71年ぶりに更新する32.8℃にまで気温が上昇し、夜はまさに熱帯夜(少なくとも我が家は)。そして今日も凝りもせずに最高気温は32.8℃を記録し、もうどうなっていることやら。

 しかしボストンのおそるべきは、明日まで続くこの陽気も土曜日には「春」にもどるらしく、最高気温は14℃だとか。忙しいのは仕事だけにして欲しいものだけれど。

 さて、日本からのお客様は1週間の滞在を終えて無事に昨日の早朝に日本への帰国の途に。初めてのアメリカはなかなかに印象深い体験が出来たようで、こちらは思うように時間も取れなかったけれどもその手伝いが少しでも出来ていたら嬉しいかぎり。最後の最後に、乗り換え地への飛行機がキャンセルされて期せずして2度も乗り換えをして日本に帰ることになったのは、まあご愛敬ということで。そのおかげでビジネスクラスで帰れたんだからねえ。

 それにしても、もうすっかり日本からの知人のおみやげの定番となったかのようなチョコレートの山。せっかく日本からはるばるわんさと持ってきてくれたのに、この暑さではちょっと味が落ちそうで心配だ。いっそのこと一気に食べてしまおうかな・・・。



最終更新日:2001年 7月 5日