備忘録・2001年7月

日々の出来事やその日に仕入れた情報をお届けします

Tuesday, July 31, 2001
 今日は、アメリカに渡ってこの2年間の生活費と研究費のサポートをしてくれた、ヒューマン・フロンティアへの最終報告書提出の締め切り日。昔からの性分として、締め切り日当日なんてのはもうほとんどろくに集中力が持たないので、これまでなら2日とか3日とか前には準備して、早々と気を楽にしていたものだが、ここに来て神経がずぶとくなったのか、昨日までに準備が終わらず、当日の今日になっても朝からばたばたと書類の準備をするはめに。

 こういうときに限って、あらかじめ頼んでおいたにもかかわらず、必要なボスの署名をもらいにオフィスに出向いてもなぜかボスはそこに居ないし、いざ完成と思って最後に確認をしていたら書式が違うことに気付いたり、やっぱり僕は昔となんら変わらず瀬戸際には弱いらしい。

 実はあと3つほど書類がたまっているのだけれど、またも締め切り間際にまで悠々としていると、何が起こるか分かったものではないから、今度こそ初心に返って早々に片づけてしまわねば・・・と言い聞かせつつ。


Monday, July 30, 2001
 1500年を誇る相撲の歴史上にわずか67人しか存在しない横綱(もっとも江戸時代以前には横綱という地位は存在しないが)の一人であった若乃花こと花田勝が、角界を廃業しアメリカン・プロフットボールの最高峰であるNFLに挑戦しているというニュースは、日本に住む方々にはもう衆知の事実かもしれないけれど、そのNFLへの挑戦の模様を伝えるオフィシャルサイトがついに完成、公開されている(http://www.sports-biz.co.jp/hanada/)。

 3年計画でプロデビューを飾ろうという心意気は、このサイトに掲載された彼の肉体が、相撲を引退してからわずか半年ばかりですでにフットボーラーのそれに近づいていることからもうかがい知れるけれど、今年31歳になるというプロスポーツ選手としてはすでに高齢の部類に入るその大きな壁をいかに乗り越えるのか、その瞬間を現実のものとして目にするためにも、同い年の僕としては惜しみなく声援を送りたいと思っている。

 現在彼は、家族と離れ一人黙々とアリゾナのフェニックスでトレーニングを行っているのだけれど、アリゾナの地元新聞に掲載されたコーチのコメントが、なんともスポーツの難しさを物語っているようで、僕の目を引いた。

 コーチは花田勝が身体的には驚異的な動きをすることを認めた上で、曰く「相撲は礼儀正しい紳士のスポーツだ。けれど、フットボールの試合の中では、熱狂したり、怒ったり、手がつけられない状態になったりしなければならない局面が出てくる。これは他の文化においては受け入れられないことだろう。こういう面を彼が育んでいけるかどうかは、まだ未知数である。」

 何はともあれ、状況を見つめる取り巻きを含めて、彼は何とも過酷な状況にその身を置いているわけだが、角界に入門する時に誰一人として横綱にまで上がれるとは思わなかったことを考えれば、今度もまたみんなをあっと言わせてくれるに違いない、とは「お兄ちゃん」ファンの一人としての願望も少し。

 さて、ふと7月30日で思い出したことが。今日は天栄村で今も農作業に精を出している祖母の誕生日だった。大正15年の生まれだから今年で75歳ということになるか。11人兄妹のみなさんが全員健康だということなので、元気に暮らしていることを疑いもしていないけれども、異常気象ともいえる酷暑の折り、あまり働き過ぎずにと願うばかり。

 誕生日と言えばプレゼント、という図式がどこの家でも当たり前のように存在しているかもしれないが、こと矢部家に限って言えば、月とすっぽんほどにかけ離れたもの同志。もっとも、誕生日に限らず、クリスマスにもプレゼントを届けてもらったことが一度もなく、サンタクロースを信じようにも出来ない状態だったし、正月のお年玉すら親からはもらったことがなかった。

 そんな我が家で、僕が最初で最後のプレゼントをもらったのは、小学4年の時のそろばんで3級に合格したお祝い。祖父母が贈ってくれたそれは、毎朝寝ぼけまなこに柱時計の示す時間を間違えて読んではすっかり安心して寝過ごして、たびたび遅刻しそうになるのを案じての、デジタル式の目覚まし時計だった(といってもパネルがぱたんとめくれ落ちるものだが)。

 以来かれこれ20年。その目覚まし時計は、僕があちこちと住む場所を変える度に段ボール箱に入れられては一緒に旅をし、いまもここボストンで変わらず時を刻んでいる。

 あの目覚まし時計、まだ現役で働いているんだよ〜という話、祖母へのプレゼントの代わりに・・・ならんかな。

 ばあちゃ、おらのごだあ、そだしんぺすっこどねえがら、わが体きいつけでくなんしょない。


Sunday, July 29, 2001
 ボストンの登山家がエベレスト登頂に成功したとのニュース。レッドソックスの1918年以来のワールドチャンピオンの座を奪還すべく、今年こそはとレッドソックスの帽子を被っての登頂だったそうだ。山頂ではヤンキースのペナントを焼くなどしてベーブ・ルースの呪いを振り払う厄払いもしたとか。さすが、ボストンの野球ファンは気合いが違う。

 そんなファンの願いを実現へと近づける朗報となるような今日の試合。

 今か今かとその勇姿をグラウンドで見ることを待ちこがれた、昨年のアメリカンリーグの首位打者、ノーマー・ガルシアパーラー。春に手術した右手首をすっかり癒し、今日は今シーズン初めてスターティングメンバーに名を連ねた。そして、いきなり初戦からファンを熱狂させる活躍を飾るあたり、まさに彼がまぎれもない一流であることを、自らが証明することとなった。

 1点を追う展開で貴重な同点ホームランでまずは復帰への祝砲を放つと、再び1点をリードされた後の満塁の場面では起死回生となる2点タイムリーヒット。そしてそのわずか1点のリードを、チーム一丸となって守り切り、見事に主砲の復帰を祝うまたとない結果を手中にした。

 昨日はカール・エベレットも復帰し、これでアメリカ中のメジャーファンが熱望していた、3番から6番までの、ノーマー、マニー、ダンテ、カールというドリーム・クリーンアップの完成。

 あとは、マルチネスとバリテックのバッテリーが怪我から帰ってくるのを待つばかり。ここに来て8連勝と俄然勢いを増してきたニューヨーク・ヤンキースを追撃するのは至難の技だが、83年ぶりのワールドシリーズ制覇と、それに熱狂するボストン市民をこの目で見ることが出来る日もまんざら夢ではないと思うし、是非とも見てみたいものだ。思いがかなう瞬間とはいかなるものかをこの目に焼きつけるために。


Saturday, July 28, 2001
 友達のボストン滞在と同時に暑くなり、帰ったと思ったらまた涼しくなった。冷房のない我が家に宿泊した友達への嫌がらせのような天気。これに懲りずに、毎日気まぐれなく寒い冬のボストンに今度は遊びに来てくださいな、Y君。

 さて、夏の甲子園出場をかけた福島大会の決勝では、延長11回に4点を挙げほぼ勝利を手にしていた日大東北が、その裏に5点を返されての逆転サヨナラ負けとのこと。そういえば日大東北の甲子園初出場をかけた15年前の学法石川との決勝戦でも、4点を挙げた延長10回のその裏に5点を返されて、逆転サヨナラ負けで準優勝に終わったことが思い出される。まさに歴史は繰り返された。なんといっても、日大東北はこれで3年連続の逆転サヨナラ負けで甲子園への道を絶たれたことになったが、今年のエースピッチャーは1年生の時からのレギュラーで、2年前の決勝戦では2点リードの最終回に3点を奪われて涙を飲んでいるだけに、母校と同じ郡山市の高校ということもあって、今年こそは甲子園に行かせてあげたかった。

 しかしたたえられるべきは、延長に入って4点を挙げられてもなおあきらめずに、必死に自分たちの力と努力を信じて5点を返した、福島代表で初出場となる聖光学院の選手諸君。初出場への壁がどんなに高いものかは、15年前の日大東北の例が全てを物語っているけれども、そんな逆境を全く感じさせずに立ち向かったその精神力は純粋に賞賛に値すると思う。是非、甲子園の晴れの舞台でも活躍して欲しいと願う。

 先日のバレーボールの試合には、満を持して我らのボスの登場。なにしろ、ここのところフルセットにもつれ込む接戦を展開するものの、最後にはなぜか力尽きて試合を落とすことが続いているので、ここでそんな悪い流れを断ち切ろうと、エースの登場を願った次第。我らがエース(ボス)は、身長2メートルを越す巨漢。さすがに常に主導権を握るものの、なぜだかやっぱりいつもの展開で、フルセットにもつれ込んでしまって、結局は競り合いに負けての敗戦。化学科一の仲の良さでは定評のある我がラボでは、勝負への執念・厳しさが足りないのかも。まあ、円満であることが一番だけれど。

 ソフトボールはといえば、先日も4番・サードでの出場。打率は2打数1安打と5割の成績だったが、少ない打席が物語るように、1対23という信じられないようなスコアでの3回コールド負けだった。なんで、山なりに投げるボールをみんながみんなホームランに出来るんだろう。今度ばかりは4番の責任ではないよな、たぶん。

 ところで、日本からのお客さんを迎えたときの定番として、またまたフェンウェイパークでレッドソックスの試合を観戦。今年2度目の野茂のピッチングを堪能することに。

 野茂は今やレッドソックスの押しも押されもせぬエースとして君臨している。なにしろ開幕以来ローテーションを守って投げている唯一のピッチャーで、この意味するところは、例えばこの日のチケットのように、たとえ1カ月前であってもぴったりと野茂の投げる日を予想できるということ。おまけに地元ボストンでは6勝負け無しの成績で、ファンにはたまらないまさに千両役者の活躍を続けている。

 この日もカナダのトロント・ブルージェイズを相手に、10個の三振を奪う貫禄のピッチングを展開してきっちりとボストンでの不敗神話を守り、今季11勝目となる白星と7月の月間MVP最有力候補となる負け無しの5連勝を飾ることになった。ちなみに、僕が生で観戦したときのレッドソックスの不敗記録も、難なく更新。

 ん〜、なんだかスポーツの話題満載の、スポーツ新聞まがいのサイトになりつつあるな、こりゃ。


Tuesday, July 24, 2001
 「今年のボストンは例年になく過ごしやすい気候が続いていて、冷房のない我がアパートに優しい夏を迎えました」

 なんて言葉を日本宛の暑中見舞いにしたためたのは先週のこと。ところがどっこい、先週末からまあ暑いこと暑いこと。すっかり我がアパートは蒸し風呂に様変わりして、額から玉のような汗が転がる日々を送っている。明日から大学の後輩を日本から迎えて、我が家に泊まってもらうというのに、はあ、お気の毒様。

 さて、生物学科のラボで実験台に向かって手を動かしていると、何やら背中に熱い視線が。ふと振り返ると、そこには今日3週間のヨーロッパ巡りから帰ってきたボスが満面に笑みをたたえて立っていた。

 「トミオ、いいねえそのヒゲ。そういうの、いいねえ。僕は好きだねえ。うん、いいねえ。」

 というわけで、すっかりヒゲ面を気に入ってもらえた模様。なんだか、ますますヒゲを剃るタイミングを失っているような気がしないでもないが・・・。

 ところで、NHKラジオで放送している「基礎英語3」のテキストの巻頭カラーページで、今年1年を通してボストンを紹介しているのは御存知だろうか。来たる10月号のテーマは「チャールズ・レガッタ」だそうで、先週はじめにそのページの構成をしている方から突然メールが届き、僕のウェブサイトで公開している写真を使いたいとのこと。その後、NHK出版語学部の担当の方ともあれこれと打ち合わせをした結果、このほど正式に10月号の「基礎英語3」の巻頭カラーページの写真を提供することが決定した。

 9月中旬に発売の「基礎英語3」10月号を是非ご覧あれ。(と宣伝をしても僕にお金が舞い込むわけではないが)

 さてさて、レッドソックスは今日、「投げる芸術」と呼ばれるセイバーヘーゲン投手が金曜日の先発を控えて22カ月ぶりにベンチに入り、ガルシアパーラー選手が手首の手術から復帰してAAAの試合についに登場と、景気の良いニュースが二つ。外の気温と違って野球の話題となれば話は別で、頭一つリードしたヤンキースを乗り越えてくれるなら、どんなにヒートアップしても、いっこうにかまわないんだけどねえ。


Monday, July 23, 2001
 決して、安積高校が3回戦で敗退してしまったショックで、更新する気力を失ってしまったわけではないのだが・・・。はあ、久しぶりに本気で期待していただけに・・・残念。まあ、3点差を9回の表に追いついてのその裏のサヨナラ負けだから、選手諸君は十分に力を出し切ったに違いないし、何より海の向こうのOBにすら大きな夢を見せさせてくれたことに感謝。

 さて、先週の金曜日には日本の理化学研究所からのお客様をお迎え。もっとも、正確に言えば僕の直接のお客様ではなく、この方はMITの生物学科の隣のラボのポスドクの方の出身研究室の教授で、ニューハンプシャーで開かれたゴードン会議の後にボストンに立ち寄っての夕食会に便乗してご一緒させていただいたもの。

 といって、この教授と僕とがまったく無縁というわけでもないのが、世の中の狭さと言うか面白さと言うか。実はこの先生の研究室には前に一度お邪魔したことがあり、それも博士課程が終わってからの就職先として相談を受けていただいたという奇縁。僕がアメリカへ来ることになって、ご厄介になる機会を逸してしまったのだけれど、今回食事を共にさせていただきながらわいわいと雑談をしていたら、やっぱりお世話になっておけばよかったかとふと思ったり。何とも魅力的な方であることをあらためて認識した次第。

 ちょうど同じ日、実は化学科では日本人の方々の送別会が行われていた。現在化学科には10人あまりの日本人がポスドクとして、また学生として在籍しているが、近々一気に4人もの方が帰国されるとのこと。実はちょっとしたトラブルで、送別会がこの日にあるということをその前日まで知らなかったものだから、予約の順番として送別会に出席することは出来なかったのがなんとも残念ではあった。

 それにしても、化学科の送別会への僕の出席率はすこぶる悪く、なぜだかいつも日本からのお客さんを迎えている時に会が開かれることが多い。めぐり逢わせとはいえ、本当に申し訳ない。こりゃこの分だと、僕がいつかMITを離れる日が来ても、送別会は開いてもらえないかもなあ。

 さてさて、土曜日はというとボストンに住む日本人の方々(アメリカ人のご主人を含む)で「初鰹」をテーマに夕食会。カツオは水温22度くらいを生活適温とする熱帯性の魚であるから、ボストンでカツオが食べれるとは新たな発見ではあった。というわけで、カツオは万葉時代から日本人に親しまれている魚であるし、三度あるカツオの旬の最初の旬「初鰹」を食べれるとあって、喜び勇んでお邪魔させていただいた。

 カツオと言えば「たたき」。これは独特の匂いを消し、カツオの旨さを閉じ込めるという意味で非常に理にかなった調理法で、本場高知でカツオの切り身に焦げ目をつけるとき藁火(わらび)を使うのも、藁火の高温でカツオの脂が流れ出てしまう前に表面を焦がしてしまおうという生活の知恵。その後、冷水で冷やして身をしめるという方法が一般的で、この日もちょっと話題に上ったりしたのだけれど、本場では冷水にひたすと旨味が逃げてしまうとして、焦げ目をつけた直後にポン酢をまぶしたりするそうだ。「たたき」も奥が深い。

 初鰹と言えば「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」という大阪に住んだ江戸初期の俳人の山口素堂の句が引き合いに出されて、初夏の味覚の代表としてカツオが紹介されることが多いけれど、僕は「初鰹 りきんで食って 蚊に食われ」という江戸時代の川柳が、より庶民の初鰹への思いがにじみ出ているような気がして好きなんだな。「りきんで」というのがその雰囲気を出しているのと同時に「利金(質屋)」を指していて、奮発して初鰹を食べたのはいいが、買うお金をつくるために蚊帳(かや)を質屋に入れちゃったよ、というなんともすっとんきょうな話。

 そのカツオの味だけれど、それはもうたまらなく美味でとてもおいしかった。僕はと言えばただひたすら喋ってばかりで料理を手伝うこともなく、例によって例のごとく、ひたすら食べる係に撤していたのだけれど。みなさん、いつもいつもありがとうございます。

 というわけで、先週もいろいろありましたとさ。


Tuesday, July 17, 2001
 母校・安積高校の先輩の玄侑宗久さんが芥川賞を受賞したとの知らせ。宗久さんは郡山市の隣の三春町で住職をするかたわら、作家活動を続けている方である。前回の芥川賞で次点に泣いた悔しさを、わずか半年で雪辱するとは天晴れ。

 芥川龍之介の親友だった久米正雄が安積高校の出身であることに縁があるのか、宗久さんのこの受賞は、中山義秀、東野辺薫、に続いて3人目の我が先輩の栄冠ということになる。

 さあて、これにあやからない手はない。熱戦を繰り広げている野球部の面々も、是非これに続いて表舞台へと飛び出してもらいたいものだ。母校の春夏連続の甲子園出場まで、あと5勝。

 さてさて、火曜日恒例のグループミーティングが午後7時からいつものように行われた。普段はいち早く部屋に来ては一番前の席を占領しているボスだが、今日は時間になってもとんと現れない。少しして、小走りにメンバーの待つ中にボスが登場。シャンパンを小脇に抱えて。

 「トミオの論文が出版されることになったから、みんなでお祝いしよう」

 というわけで、しばしシャンパンの得も言われぬ味を堪能。この論文は、ボスの記念すべき(かどうかは知らねども)初の生化学分野の論文となるし、ボスの論文としてはちょうど20報目の区切りのもの。また、僕にとっても区切りとなる10報目の論文で、何より僕のアメリカでの初の成果であるから、その満足感たるや。

 研究者冥利に尽きるこの瞬間、この味わい。この気分といったら、宗久さんの芥川賞のそれとは比べものにならないかもしれないが、そう変わるものでもないかもしれないと思ったり。


Sunday, July 15, 2001
 定期購読している「NHKラジオ・英会話」のカセットテープが4月からCDに変わってしまって、いつも朝晩のラボへの道すがらウォークマンで歩きながら聞いていたのに、もうそんなことも出来ないなあと困っていたのだけれど、一念発起してCDウォークマンを買うことにした。

 そうと決まれば話は早い。一目散にディスカウントストアに出向いて、携帯タイプのCDプレーヤーの売り場をうろうろ。メーカーが同じであれば、値段を決めているのはデータを一時的に記録しているメモリーの容量。この容量が大きければ、振動で曲跳びがあっても曲を途切れさすことなくスムーズに演奏を続けることが出来るから、常に持ち歩いて使うことを思えば多少の出費は覚悟の上。一応、あらかじめウェブで取り引きされている値段を調べておいたので、その値段も参考に結局ソニーのものを購入した。所要時間はじつに1時間をゆうに超えた。行動は早いが決断は遅い。

 さて日曜日恒例のジョギングをしていたら、今日はなんだか不思議な日で、休憩をしようと歩き出すと道を聞かれ、またしばらく走って休憩すると・・・道を聞かれ、走り終わってアパートの近くでまた道を聞かれ。ひげが伸びてだいぶ人相も変わったように思うのに、道を聞かれやすいという性分はどうにも変わっていないようで。それにしても、一人として正確に道を伝えることが出来なかったのも、いつものことではある。

【新着情報】
 「僕はこんな本を読んできた」を更新しました。懸案だった書評も今回から始めました。
 ゲストブックの不具合が解消されないので、ジオシティーズ提供のものに変更しました。どうぞご利用ください。


Saturday, July 14, 2001
 前回の備忘録に「顕つ(たつ)」という言葉を紹介したけれど、この「顕」という字は古語辞典をながめているとよく出てくる字の一つで、四つほどしかもともと無かったと言われる色の名前の一つ「しろ」も、漢字で書くと「顕(しろ)」となる。

 古代人が純粋に色を表わす言葉として持っていたのは「白」の他には「赤」「黒」「青」だそうで、これらは厳密に言えば色彩そのものの名というよりは、光を感じるときの感覚から由来したと考えられている。すなわち、明(あか)〜暗(くろ)、顕(しろ)〜漠(あお)。

 「青」の由来が「漠」というのはなんとも象徴的で、まさに漠然とした色の境界線を示しているとおり、青も緑も藍色も、黒と白の中間はもうみんな「あお」と表現していた。どう見ても「緑」色の信号を「青信号」というあたり、古代の日本人の感覚をいまだに残しているのかも。

 さて、その信号機の「緑」色だけれど、これは逆にもともとは色の名前ではなかったもの。これは新芽や若芽を指してみずみずしさを表わす言葉だったものが、色を表わす言葉として転用されたもの。だから、生まれたばかりの赤ん坊から三歳ぐらいまでの子供を「嬰児(みどりご)」と言ったり、みずみずしく艶やかな黒髪を「みどりの黒髪」と言うのは、そうした本来の「みどり」の意味の名残である。

 さてさて、母校・安積高校の二回戦の試合は24対0での大勝で、甲子園への春・夏連続出場へいよいよエンジンがかかってきた。


Thursday, July 12, 2001
 夏の甲子園出場をかけた高校野球の福島大会が開幕。春のセンバツの出場を果たしながらなぜかノーシードの母校・安積高校は、6対1とまずは幸先良くスタートを切った。

 さて、木曜日恒例のソフトボールの試合で、監督から先週の3番から一つ繰り上がった4番・センターを言い渡された。これまでの人生で初めての4番とあって、もう有頂天。あまりに嬉しくて張り切りすぎて、1回の二死二塁の先制のチャンスにセンターフライに倒れ、1点差に追い上げた3回の一死満塁にはショートへのゲッツーに倒れと、とんだ空回り。

 その後はヒット3本を打ってなんとか面目を保ったものの、打点が0 とあってはねえ。向こうの4番が3打席連続の柵越えホームランをかっ飛ばしたのとはあまりに対照的な働きで、11対17での敗戦は少なからず4番のせいかも・・・。まあ、守備では3度ほどスーパーファインキャッチを見せた(と自分で言うあたりが、まあ何だな)から、いくらか満足してはいるのだが。

 ところで、昨日のこの欄で「夕立」のことを取り上げたけれど、「立つ」というのは自然界の動きがはっきりと目に見えることを表わしていて、古くは「顕つ(たつ)」と書いた。だから、「夕立つ」のは何も雨に限ったことではなく、波とか風とか雲などが夕気立つこと、すなわち夕方にわかに起こり立つことにも用いられ、虹もまた「夕立つ」と表現される。

 そして今日もまた夕立つ虹を見た。雨雲の間ににょきっと顔をのぞかせた感じで、一昨日の幻想的な虹からしたら、尾かしら付きの刺身に添えられたパセリみたいなものだったけれど、なんだか和やかな気分になるのは虹の虹たるゆえんか。


Wednesday, July 11, 2001
 やっと勝った。というのはバレーボールの話。実をいうとリーグ戦開幕以来、僕が出場した試合はこれまですべて負けていて、勝利をおさめた2試合は僕が学会などで留守にしていた2週間の間の出来事。これで我がチームは3勝3敗のタイということになって、来週からまた気持ちも新たに頑張りますか。

rainbow ところで、ここのところボストンは夕方というと突然の夕立に見舞われたりしているのだけれど、昨日も例によって夕方遅くに激しい雨。俳句ではしばしば「ゆうだち」に「白雨」という字をあてることがあるけれども、そんな感覚がぴったりくるような、視界を白く染める激しい雨がひとしきり降った後、陽射しが戻るや何とも珍しい双子虹が出現。虹の輪を境に内側はとっても明るく、その外側はどんよりと暗い、何とも幻想的な時間をしばし体験した。(右の写真はBoston Globeに掲載されたものを拝借)

 さてさて、久しぶりにお昼を中華のトラックランチで仕入れて、燦々と照りつける陽射しの下のベンチに腰掛けて食べていると、突然中国人風のお姉さんに話しかけられた。話っぷりからするとどうやらMITの関係者ではないようで、いろいろとキャンパス事情について質問が続く。すると突然、「ところであなた韓国人よね」とのたまう。いいや日本人だけど、と答えると、「あら、友達の韓国人に似ていたから、てっきり韓国人だと思ったよ」と言うが早いか、そそくさと腰を上げて別れを告げるやどこかに消えてしまった。韓国人と話がしたかったのか、はたまた日本人が嫌いだったのか。

 何とも腑に落ちない心持が消えないまま夕方になると、廊下でボスに遭遇。ボスときたらここのところ海外出張続きなものだから、実は話をするのも久しぶり。最近の実験の話やら世間話やらをしばしかわした後、「そういえば最近Jから提出されたレポートって、お前がいろいろと手直ししたのか」と言い渡された。手助けしている大学院生のレポートの添削の話は、すでにこの欄で紹介したとおり。それにしても、何でわかったんだろう。このプロジェクトに参加してまだ半年足らずの大学院生にしては、奥が深いレポートだと思ったのか、はたまたところどころに拙い英語がにじみ出ていたのか。

 ますます腑に落ちない気持ちに突き落とされつつ・・・。


Tuesday, July 10, 2001
 顔の右半分がヘルペスにやられていることもあって、左側だけの髭を剃るわけにもいかず、ここのところヘルペスのただれが見えないほどに髭が伸び放題。少々人相が変わりつつある。

 さて今日はメジャーリーグ・ベースボールの中休み。オールスターゲームがシアトルのセーフコ・フィールドで行われた。

 337万票を超えるメジャーの最高得票を獲得してオールスターに選出されたマリナーズのイチローは、1番センターで先発出場。一回にいきなり内野安打で出塁して盗塁まで決めるあたり、やっぱりただ者ではない。おまけに日本時間で7月11日のこの日は、9年前にオリックスで一軍デビューを飾った日でもある。まあ、常に次を追い求めるイチローのこと、そんなことは覚えていないに違いないが。

 それにしても、今日のスターは何と言ってもカル・リプケン。今季限りでの引退を表明している鉄人も、今年で41歳の年を重ねるというのに、自身の18回目の最後のオールスターゲームをホームランで締めるところ、まさにミスター・ベースボール。

 ここぞというところで結果を出す「華」を咲かせることが出来るのも、これすなわち日々の頑張りのあかし。小学生以来グラブ磨きを一日も欠かしたことのないという、イチローの野球にかける思いの丈からすれば、アメリカでのこれまでの成功もなんら驚くことではないのかもしれない。


Monday, July 9, 2001
fireworks1 前半戦のフェンウェイパーク最終戦となった昨日の試合に先発した大家投手は、4回まで軽快な投球を展開していたものの5回に2本のホームランを浴びるなどして惜しくも敗戦投手に。しかし、今年のボストンでの開幕戦に先発した彼が、オールスター前の前半最後の試合にローテーション通りとはいえ先発が巡ってくるあたり、後半の活躍を期待したくなるというもの。マイナーの登板を含めても最近はちょっとばかり結果がついてこない状況だけれど、ピッチングコーチも監督もそして本人も「調子は悪くない」という言葉を信じて、オールスター明けからまた応援することにしよう。

 それにしても、レッドソックスときたら、よくぞこのメンバーでヤンキースと首位争いをしているものよと感心を通り越して感動すら覚える陣容。昨年のこの時期には4割近い打率を残していたガルシアパーラーをはじめとして、バリテック、エベレットの昨年のクリーンアップが故障でいない上、エースのマルチネスを筆頭に昨年の1軍メンバーの半数に当たる12人もが故障者リストに載っている有り様。さらには、最近レッドソックスの監督として400勝を記録したウィリアムズ監督は、選手との間が起用方を巡ってぎくしゃくしているし、そんな状況もあって就任以来すべて2位という成績を残しているこの監督を今年限りで辞めさせようとするジェネラルマネージャーとの確執までも先週のスポーツ・イラストレイテッド誌で取り上げられたりと、なんともはや。

 そんな状況を一心に救っているのは、新加入の20億円プレーヤーのラミレスと、同じく新加入でこれまでのところレッドソックスの勝ち頭となる8勝を挙げている野茂。特に野茂はいまや彼一人が開幕以来のローテーションを守っていることからして、名実共にレッドソックスのエースになった感あり。ああ、オールスターに出て欲しかったなあ。

fireworks2 さてさて、先日の独立記念日の花火の写真が出来上がってきたので、挿絵代わりに2枚ほど。
 それから、大家投手のホームページの冒頭で見つけた坂本龍馬のことばをひとつ。

 丸くとも 一かどあれや人心
  あまりまろきは ころびやすきぞ


Friday, July 6, 2001
 7月は3日、4日、5日と化学科のラボのメンバーの誕生日が連続しているので、盛大に誕生会をやろうということで、普段はケーキを買ってきてみんなで食べるだけのところを、今日はハーバードスクエアまで繰り出してディナーと相成った。

 そこで、ニューヨークのホットドッグ早食いコンテストに優勝した日本人のことが話題にのぼって、なんであんなに小柄な輩が50個もホットドッグが食べれるのだろうと、いかにもサイエンティストな会話がしばし。

 「そういえば、トミオもケーキやチョコレートというといくらでも胃袋に入っていくようだし、日本人は特殊なのかも」

 なんとも非科学的な結論に達した次第。

 まあ、みんなが食べきれないと言って差し出すデザートを、ぱくぱくと平らげてしまうのが悪いのだけれど、日本人の名誉のためにちょっと考え直さないといけないか。


Thursday, July 5, 2001
 僕のサポートしている大学院生が、プロジェクト(つまりは学位論文のための研究)の中間発表をレポートにして提出しなければならないとかで、最近はいつにも増して忙しそうだった。そんな折り、先日彼女から「ちょっと頼みがあるんだけど・・・」と言うなり、どさっと資料を渡された。このレポートを添削して欲しいとのこと。

 いやはやアメリカ人を相手に英語の添削をすることになろうとは想像だにしていなかったが、これがなかなかこちらの勉強になるシロモノであることは明らか。なんといってもその緊張感たるや、まずは書いてあることをきちんと理解しなければならないのは当然として、それが適切な表現か、はたまた奇妙な論理の展開になっていないかなどなどを、指導者としての威信に懸けて・・・と言うほど大げさなものではないのだが。だいたいにおいて、自分の論文を書くよりも時間がかかるんじゃないかと思うほどに先に進まないようでは、添削者としてすでに失格だったりする。

 というわけで、今日、その添削したレポートをちょっと緊張しつつも彼女に手渡した。まあ、指導している方が緊張しているのもどうかと思わないでもないが、何事も初めてのことというのは緊張するものだからして。

 3時間ほどしてバイオロジーの研究室から戻ってみると、添削箇所についての質問をどわっと浴びせられて、これまたその時の自分の思考回路を思い出したりしながらしどろもどろと説得にあたる。まあ、これも良い経験を積んでいると思えば、額に浮かぶ冷や汗もスポーツ選手の流す汗に通じるものかも知れず・・・。

hon さてさて、双葉文庫から「『怪物』たちの甲子園」という本が出版されたとの知らせ。その中に「高校野球、地方と原点の記憶」という章があって、「花は桜木、男は安積高野球部―嗚呼!21世紀枠よ、感動をありがとう」というエッセイが、高校2年のときに机を並べていた仲の102期応援団長の手によって書かれているとのこと。ああ、早く読みたい。ところで、この本の著者は「高校野球オタク会」とのことだけれど、僕も入れてもらえるかなあ・・・ねえ、団長さん。


Wednesday, July 4, 2001
 困ったことにまたまたヘルペスにやられている始末。昨日、せっかくカリフォルニアから遊びに来てくれた大学の同じ学科の同級生も、この顔を見て呆れてしまったに違いない。なにしろ、2カ月前に日本から大学の同じ学科の同級生が来てくれたときもヘルペスにかかっていたという話が出ていたくらいだから。

 まあ、体は正直だということだから、素直に少しは体を休めることにするか・・・というわけで、今日の「独立記念日」は完全休養日。朝からアパートでだらあっと過ごすことに。実をいうと、今度のヘルペスはちょうどメガネの鼻当てのところにもできものが出来てしまっていて、メガネを掛けるのもはばかられるのだけれど、といってメガネがなければ何も出来ない状況では家でじっとしているのが得策、ということになった次第。

 ところが午後10時過ぎ。ドーン、ドーン、と突然鳴り響く轟音。

 独立記念日恒例の花火の打ち上げは、チャールズ川の川面に浮かんだ船の上から行われるが、その場所といったら我がアパートのほんの裏。アパートの窓が川の方向とは逆にあるので、直接花火を見ることは出来ないが、その音たるや。部屋が一緒に揺れているようにさえ感じるほど。

 というわけで、部屋を出て30秒で花火が見え、2分も歩けば川面から打ち上げられる大輪の花火の全貌を眺められる場所に到着。45万人の人出とニュースで言っていたけれど、それはもうどこからこんなに人が出てきたと思うくらいに、あたりは人だらけ。

 30分休みなく打ち上げられた花火は、間近で見た効果もあってかなりのド迫力で二重丸。特に最後の瞬間は、これでもかといわんばかりに息もつかせぬほどに連続して花火が打ち上げられ、その煙幕で当の花火が見えなくなるくらい。

 で、花火が終わるとまた2分とかからずにアパートの部屋に戻ってきたのだけれど・・・ん〜、なんか寂しさとも侘びしさともつかぬ雰囲気が漂う・・・。

 まあ、便利すぎてあまりに素っ気ないときに似ているかな・・・。たぶん。



最終更新日:2001年 8月 5日