備忘録・2001年10月

日々の出来事やその日に仕入れた情報をお届けします

Sunday, October 28, 2001
 妹からの知らせで、天栄村の実家の愛犬、ロッキーが突然にその一生を終えたとのこと。10歳4ヶ月の天寿だった。

 ロッキーが生まれたのは僕がもうすでに大学に入学していた頃だったから、ほとんど実家にいない僕の顔なんて覚えていなくて当然といったところで、番犬としては有能なロッキーから吠えられてもまあ仕方のないことだといつも思っていたのだが、どこでどう判断しているのか、久しぶりに僕が実家に帰って顔を見せても一度も吠えられたことがない。客観的な第三者の立場で公平に見て、僕をこの家の家族と認めてくれているのかと思うと、なんだか帰る度に「いやあよく覚えていてくれたなあ。ありがとうよ」なんて感謝していたものだったが・・・。もう会えないんだねえ。

 ロッキーと一緒に散歩に行ったのもそんなわけで数えられるくらいしかないのだが、こちらこそロッキーの顔を忘れては申し訳ないと、写真を何枚かアメリカにも持ってきている。そこで、その写真を元に「GOOD-BYE ROCKY」というページを作った。いくらかでもロッキーの供養になればと願いつつ。

 ロッキーは山での作業に向かうトラックの荷台にひょいと飛び乗って一緒に山に付いて来ては、こちらが作業をしている間にそれこそ野山を駆け回って遊んでいるのが好きだったから、今頃は雲の上でもぴょんぴょんと駆け回っているのかもしれないなあ。安らかに。


Friday, October 26, 2001
 真ん中に埋め込まれたダイヤモンドを囲むようにして、大きく「NFL」と刻まれた存在感のある大きな指輪が、前から気にはなっていたけれど、こういう値うちのあるものにはとんと縁のない素性が災いしてか、どうもその持ち主に直接尋ねる勇気が持てないでいた。そうこうして月日が流れた今日この日、毎週金曜日恒例のソーシャルアワーの時間に、これ幸いにも同じく気になっていたらしい同僚がその指輪の持ち主であるラボマネージャーに単刀直入に聞いているのを見つけ、そそくさと近寄ってその由縁を拝聴。

 するとなんとも、これがかの「チャンピオンの証」たるNFLの勝利の指輪そのものだとのこと。つまり、アメリカン・フットボールNFLのその年のチャンピオンチームに贈られる栄光の指輪。ところで、何故にそんな指輪を我らのラボマネージャーが持っているのかと聞けば・・・。さらにびっくりなことに、彼のおじさんの形見として譲り受けたものだそうで、ということは彼のおじさんはプロフットボーラーだったということになるのだが・・・。

 知り合いの知り合いがプロフットボーラーというのもなかなかに貴重なことに違いない。これは是非、後々の話の種にちょっと名前をメモっておくことにしよう、と思ってまずはサラッと聞いてみると、なんだか「ヴィンス・ロンバーディ」と言っているような。聞き間違いかと思ってもう一度聞いてみてもロンバーディと聞こえてくる。もしやと思って「その指輪ってもしかしてグリーンベイ・パッカーズのだったりして・・・」とふってみると、そりゃもちろんだ、との答え。あれまあ、またまたびっくり。おじさんというのは、フットボールの神様、ヴィンス・ロンバーディのことらしい。

 ロンバーディは、1960年代にグリーンベイでヘッドコーチを務め、その7年間でチームを5度チャンピオンの座に輝かせた名将。特に、スーパーボールが始まった1966年にもその頂点につき、初代のスーパーボールチャンピオンにパッカーズを導いたことで知られる人だ。ただ、その翌年の1967年に連覇を果たすと突然身を引き、57歳という若さで夭逝した。彼の生涯のパッカーズでの勝率は7割5分を超えるという、まさにフットボールの神様といわれる所以である。

 で、マネージャーの持っている指輪は、ロンバーディが初めてチャンピオンにグリーンベイを導いた1961年のニューヨーク・ジャイアンツとのもの。37対0で勝利したそのスコアが、指輪の裏側に刻まれていた。

 「そう、勝つことがすべてではないよ。勝つために努力することがすべてなんだ。」ヴィンス・ロンバーディ


Monday, October 22, 2001
 化学科のSEEBERGER研と生物学科のROSENBERG研の両方のラボから、来年の研究報告会の日程が発表された。SEEB研は毎週火曜日の夜7時に、そしてROSEN研は毎週水曜日の朝10時にそれぞれ報告会があるけれど、来年の元日は火曜日ということで、SEEB研のそれは1日スライドして水曜日の1月2日が報告会初めとなった。ということで、来年は1月2日に重なった二つの報告会で年が明ける。

 おまけに、SEEB研の発表者は・・・「TOMIO」とのこと。となれば、今回は正月休みどころか年末も休んでいるわけにもいかないか。

 アメリカではいわゆる「正月」という風習はないので、元日は祝日になっているものの、翌日の2日からはまあいたって普通の新しい年の初日が始まるといった具合。今回のケースは、そんなアメリカの風習にどっぷりとつかることができるというわけだ。

 ちょっと気が早いけれど、報告会で幕の開ける来年はどんな年になるのやら。まあその前に、残り2ヶ月の今年を全うしなければならないが。


Thursday, October 18, 2001
 化学科の学生とポスドクで結成しているサッカーのチームが参加するMIT内のリーグ戦の公式戦が「午後9時」からあって参加。いつもは日曜日に行われることが多いのだけれど、たまにはこんな時もある。僕はいつものようにディフェンダーの右のサイドバックでの出場。フォワードに人気があるのは分からないでもないが、個人的にはこのポジションが一番かっこいいと思っているもので。

 それにしてもとっぷりと日も暮れた晩秋の夜の寒いこと。今日は後で確認したら気温5℃ということだったが、微風が吹いていたこともあって体感気温はずっと低く感じた。もっとも、試合が始まってしまえばそんなことは一瞬たりとも気になることもないけれど。

 さらには、ナイターということでその設備がある構内の人工芝のサッカーグラウンドで試合は行われたのだけれど、いやはや人工芝のおかげで球は速く転がるし、カクテルライトの感覚に慣れるまで時間がかかるし、転びたくはないし・・・。やっぱり、お天道様の下、天然芝の上でサッカーをするのが一番いいなあ。

 試合はといえば、1対1の緊迫した状態がしばらく続いて結構緊張したけれど、前半終了まぎわにあげた1点がだいぶみんなの気分を軽くしてくれたらしく、後半はたて続けに4点をあげて6対1での勝利。これで通算2勝1敗となって、まずまずのスタート。

 唯一の残念なことは、試合が終わったのが10時半ごろで、その後中断していた仕事に区切りをつけて、日付けも変わった頃に家に帰ってみたら、ヤンキースとマリナーズのチャンピオンシリーズ第2戦は、とうに終わっていたこと。はあ、毎日イチローの姿を見れる機会なんてボストンにいるとそうめったにないので、またとないチャンスなんだけど。まあ、マリナーズにワールドシリーズまで勝ち進んでもらえれば、もうしばらくそんな楽しみも続くことになるのだが。

 というわけで、マリナーズの選手のみなさん、頑張って下さいな。


Tuesday, October 16, 2001
 ようやく注文していたハードディスクが手元に届いた。PowerBookの側面にあるPCカードスロットに差し込んで使うタイプのもの。内蔵型を買った方がお得だということは百も承知だけれど、実はこのアメリカに来る直前に中古で買ったPowerBookも、液晶画面にシミのようなムラが目立ってきたものだから、近い将来の寿命を見込んで次のノート型の備品として使えるものにしようと思ったというわけ。PCカードならマックに限らずどのメーカーのノート型コンピューターでも使える代物だから、まあ損することはあるまいと。

 そんな折り、アップルから新しいPowerBook G4が発表された。タイミングは抜群だし、値段もとても魅力的なのだが、何しろしがないポスドクの身。先立つものがないからなあ。

 食費をさらに切り詰めればローンで買えるかもしれないが、ということはつまり「自炊」が必須条件になりそうだから・・・やっぱり無理だな。もっと自由に使えるだけの給料をもらえるくらいに、自分の価値を高めるように精進するか。

 とすると、次のコンピューターを手に入れられるのはいったいいつになるのやら。


Friday, October 12, 2001
 先日のノーベル賞の発表以来、さらに文学賞と平和賞の受賞者が明らかにされ、平和賞に国連のアナン事務総長が選ばれた。なんとも、アナンさんはMITの卒業生だから、今年は実に8人のMIT関係者がノーベル賞を受賞したことになる。

 この歴史もさほどない(創立140年と日本のどの国立大学よりも古いけれど)、規模だってハーバードに比べればてんで小さいはずの大学のいったいどこにノーベル賞を55人も生む力があるのか、同僚と議論してみたけれどこれといって明確な答えを導き出すことは出来なかった。

 留学生の数が3割を超え、ほぼ世界中からここに大志を抱いて集まってくるというその環境が、後々にまで彼我の大きなエネルギーとなっていることは確かなことかもしれない。身近に目標となりうる輩がいて、またそうしたライバルと切磋琢磨できうる立場にいて、さらにそのライバルたちが大きなことをさも平然と実行するのを目の当たりに出来て。

 単一ではなく雑多な環境にこそ大きな刺激とエネルギーが隠されているとは僕は常々思っているけれど、このケースにもそれは当てはまるだろうか。

 さて、アメリカの報復のこと、そのまた報復らしい炭疽菌によるバイオテロのこと、アフガニスタンのこと、日本の狂牛病のこと、いろいろと早急な話題が多すぎてフォローをするのも大変な状況だけれど、参考までに僕が状況を知るためにのぞいているウェブサイトをどうぞ。

よく分かる政治
炭疽菌について
アフガニスタンについて
人獣共通感染症(狂牛病など)


Wednesday, October 10, 2001
 2001年のノーベル賞のそれぞれの部門の受賞者が発表され、ここMITでは物理学科のWolfgang Ketterle教授が受賞したばかりか、ノーベル物理学賞の残り二人の受賞者もMITの卒業生とあって、なかなかに大学としては盛り上がっている。

 さらには、今年はMITのノーベル賞の当たり年のようで、経済学賞の二人と医学生理学賞のLeland H. Hartwell博士はいずれもここで学位を取った面々だし、化学賞のK. Barry Sharpless博士は、1990年までMITの化学科で教授を務めた人。というわけで、今年はいっきに7人のMIT関係者のノーベル賞受賞者を加えて、通算54人という単一の機関としては最も多くの受賞者を抱える大学となった。また、現役では10人のノーベル賞教授がここで研究をしているということになる。

 ちなみにハーバード大学はといえば、今年は一人を加えて通算39人ということに。その一人とは化学賞を受賞した名古屋大教授の野依良治さんで、30年前にハーバード大学に留学していたことがあるのだそうだ。

 なんだか遠い世界の話であるはずのノーベル賞を、身近に感じることが出来る環境にいることに感謝することしきり。まあ、いずれ遠い世界の話ではあるが。

 さてさて、先日の月曜日がコロンブスデーという祝日だったこともあって、先週の土曜日から月曜日までの2泊3日の日程でバーモント州に紅葉を見に出かけてきた。男女6人の中国人たちのグループに誘われて総勢7人での車での旅。見渡す限り紅葉した木々に染められた山々に囲まれて、大いに日常を忘れてリフレッシュ。

 まあ、5cmほどの積雪の中、ハイキングと称して雪山登山を決行したのはご愛敬だが、紅葉と真っ白な雪とのコントラストに身を沈めるというのも、貴重な体験と言えなくもないし。

 それにしても、帰ってきてからというもの、ボストンもまた寒い日々が続いていて、気温はめっきり冷え込んで、夜ともなればもう冬を思わせる外気の寒さ。はあ、またまた冬のシーズンが到来。


Thursday, October 4, 2001
 レッドソックスの野茂投手が、今季の最終登板に勝利して13勝目を挙げた。今日も6つの三振を奪い、シーズン通算の奪三振は220個となって、アメリカンリーグのトップ。ノーヒット・ノーランで幕を開けたボストンのシーズンは、イチローに刺激されたか、まだまだ一流であることをその腕で証明してみせた。巷では来期の移籍が噂されているけれども、是非ともボストンに残ってまたその雄姿をここで見せてもらいたいものだと切に願う。

 さて今日の話題と言えば、70号ホームランを放ったジャイアンツのボンズ一色。98年に記録し永久に破られることのないと思われたマグワイアのそれに、ついに並んだ。ボンズは今季3試合を残しているだけにまだまだ記録更新の期待も膨らむ。マグワイアが鋭いスイングとそのパワーでホームランを量産する典型的なホームランバッターに対して、ボンズは一見するとホームランバッターには見えないのに、ホームランを量産出来るのは何ゆえか。その秘訣は、ここのところ数試合の打席に見て取れるかもしれない。

 ボンズが所属するナショナルリーグは、3地区ともまさに混戦のシーズンで、残り3試合というのにいまだにどの地区でも優勝が決まっていない。当然、優勝戦線にからむ対戦相手のチームは、一発のあるボンズを敬遠して勝ちに執着することになり、それがひいてはベーブ・ルースの四球のシーズン記録を破ることにもなったのだけれど、とすると1試合に1度か2度しかまともに打たせてもらえない状況でホームランを打つという芸当をボンズはやってのけたことになる。その集中力たるや。歴代のメジャーリーガーの中で10傑を挙げるなら必ず入ると言われる所以がそこにある。

 ところで、個人的には今日達成された歴史的なもう一つの記録に僕は拍手を送りたい。それは、パドレスのリッキー・ヘンダーソンが73年ぶりに更新した通算得点記録(ちなみに英語では得点のことをRUNというのでRと略する)。今年42歳でメジャー23年目となるヘンダーソンは、つまり19歳から生き馬の目を抜く大リーグでプレーを続けていることになる。メジャーで初めてプレーする選手の年齢の平均が25歳ぐらいだから、そもそもモノが違うのかもしれないが、42歳の今もデビュー以来一貫して一番打者として活躍を続けているその姿にはホレボレする。彼は通算盗塁数もダントツだけれども、1982年のシーズン130盗塁(SB)という数字を見れば、その非凡さがかいま見れるというもの。なにより、40歳を超えたリプケンやグウィンが今季限りで引退を宣言している中で、最年長のヘンダーソンは来年もその溌剌ぶりを見せてくれそうなのが楽しみ。

 それにしても、野球の話になるとこの欄が長くなるのもどうかと思うが。


Tuesday, October 2, 2001
 きりりと澄みわたった雲一つない空に浮かんだ満月。さすがは中秋の名月だ、とうっとりとまさに見とれながら歩いて帰ってきて暦を見たら、なんと今日は「十六夜」。暦の上では昨日が中秋の名月だったと知って、何だかちょっと複雑な気分。
 
 どうして暦の上で十五夜と満月の日がずれるのだろうかと思ってちょっと調べてみたら、どうしたことか過去10年間で十五夜と満月が一致したのは4回だけ。ずれる方が多いときている。
 
 からくりは、人間の決めた暦と宇宙の決まりとの間のずれと言ったところか。つまり、そもそも旧暦(太陰暦)の月の初めである1日は「朔(新月)となる瞬間を含んだ日」ということになるので、24時間の幅があるわけで、とすると旧暦15日の月齢は、最小で13.0、最大で15.0となって、平均が14.0。おまけに新月から満月までの平均日数が約14.76日だそうで、旧暦15日の月齢平均の14.0より0.76日分だけ長いということは、つまりは実際の満月は旧暦の15日より平均して0.76日だけ遅れるのが普通ということになる。
 
 じゃあ、「中秋の名月」は暦の上の十五夜をお祝いするのか、満月の日をお祝いするのか、どっちだという話になれば・・・それはやはりお祭り事なので暦を優先させるのだとか。なるほど「名月」とは言っても「満月」とは言っていないのか。歌にも「十五夜お月さん」としか言ってないし。
 
 ところで、「中秋の名月」とは書いても「仲秋の名月」とは書かないのも昔の人々のこだわり。暦の上(旧暦)での秋の7、8、9月をそれぞれ初秋、仲秋、晩秋と分けることからすると「仲秋の名月」と言っても良さそうなものだけれど、これだと8月に見える月のすべてを指して言っていることになってしまうので、まさに三秋の真ん中に当たる八月十五夜の月に限定する意味で「中秋の名月」と書くのが昔からの風習だそうな。細かいことだけれど、昔の人たちの思い入れを受け継いでいくことは日本人として大切なことだろうと思うので、蛇足ながら。


Monday, October 1, 2001
 ハーバード・メディカルからの帰りがずいぶんと遅くなってしまったので、夕食を取るために久しぶりにエリアの一角にあるロングウッド・フードコートに寄った。ここのところ立ち寄る機会がなかったので、考えてみればほぼ1年ぶりとなるかもしれない。1年前の日記を読み返すまでもなく、ここはずいぶんとお世話になった場所で、特にその中に一軒だけある中華の店には足繁く通ったものだ。

 そういえば、いつも何をたのんでいたっけなあ、と感慨にひたりつつメニューを眺めていると、ふわっと当時のことが思い出されてくる。つい先だってのことのようにも思えるけれども、いつのまにやら1年も経っているとは。

 Pork Chow-Men(カタヤキソバのようなもの)を注文して出来上がってくるのを待っていると、店員さんも全員昔のままなことに気がついた。みんな全然変わっていない(といっても1年だから当然だが)。料理が出来てきてその上にご飯を盛ってくれる段になって、ちらっとこちらに顔を向けた店員さん、なんと、こちらを向いたまま「固まって」しまった。

 「あらあ〜、ひげをはやしたの??!!?!?!」

 とはすごい驚きようだが、なんとも、僕を覚えていてくれたことに、こっちがびっくり。

 名前も知らぬ1年も昔の常連のお客さんを、しかもちょっと風貌が変わってまでも覚えていてくれたとは・・・なんだかちょっとうれしくなってしまった。まあ、さすがに昔のように「持ち帰りよね」と何も聞かずにさっさと袋に詰めてくれたりはしなかったけれど。

 しかしまあ、いくら久しぶりだからといって、ただでさえ1.5人前くらいの量のご飯を、箱のふたが盛り上がるほどにサービスと称して詰め込んでくれなくてもいいのに・・・(閉店間際でご飯を処分してしまいたいだけだったとは思うが)。ま、うれしいんだけれど。

 2人前を優に超えるほどの量を前にして、まったくもうこんなに食えるかなあ、いつもはピザ一つだから胃袋も小さくなってるだろうしなあ、なんてぶつぶつ一人つぶやきながら、ここによく通っていた頃のことを思い出していると・・・、あれまあ、あんなにあった目の前の弁当箱の中身が、いつの間にやら空っぽ。一番驚かされるのは、この底知れぬ我が胃袋かも。

 それにしても、久しぶりの顔を見て喜んでくれる人が居るっていうのは、名も知らぬ間柄とは言え、いいもんだ。



最終更新日:2002年 2月 17日