備忘録

日々の出来事やその日に仕入れた情報をお届けします


Tuesday, May 28, 2002

先の週末は久々に天栄村の実家に帰っていました。というのも、土曜日に7つ違いの妹の結婚式があったから。先月には3つ下の弟も山形に婿養子に嫁ぎ、我が家はおめでた続きというわけです。

この結婚式には弟夫婦はもちろんのこと、両親の兄弟姉妹やいとこ、さらには祖父母の兄弟姉妹まで勢ぞろいして、さながら一族大集合の様相でしたので、ひさびさに懐かしい顔に会ってきました。悲しいかな、放蕩息子の我が身。親戚の中でもすっかり顔を忘れられている始末で、ちょっぴり複雑な気分ではありましたが。

おまけに、式では妹の要望で僕はすっかりカメラマンと化して会場をあちらこちらと駆け回ることに。はあ、ほんと、長男としての権威はドコエ・・・。もっとも、弟もビデオ撮影の担当だったので、単に人使いの荒い妹の性分なのかもしれませんが。

この日は週末の大安だということもあってか、実はこの妹の結婚式の後に高校時代の親友の結婚式にも出席しました。会場はタクシーで20分ほど走った先にある別の結婚式場で、実に結婚式のはしごとなった次第。しかもこちらでは友人挨拶を頼まれたとあって、ちょっと緊張したりして。

この友人のお宅へは高校を卒業した後もちょくちょくお邪魔して、すっかりご両親にもお世話になっていたので、本当に嬉しそうな家族のみなさんの笑顔が見れて、はしごしたかいがあったものだと、大満足気分を味あわせてもらいました。

さてさて、あと3日でワールドカップも開幕。めでたいこと続きにあやかって、日本代表のめでたい事件も起きてもらいたいものです。


Monday, May 13, 2002

『色々な色』(近江源太郎・監修、光琳社出版)という本の序章を飾る「虹の章」の中で、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色からなる(実際には人間の目でも100色ほどに区別できると言われていますが)虹の一番波長の短い色を、赤と青の中間色である「紫」と呼ぶのはおかしい、あれは菫色でしょう、というくだりがありました。

思わず、なるほどなあと感心。確かに英語ではその虹の色のことを「すみれ(菫)」の花を表す「violet」と表現して、紫(purple)とは言ってないものなあ、と。

でも「紫」というと、洋の東西を問わず「高貴」というイメージがあるものだから、何となく一番端に(上にと言いたいところだけれど、実際の虹では紫は内側にあって下に見えるから、まあ「端」に)置きたい気も分かるかなあ。

そもそも何故に紫が高貴な色となったかと言えば、この紫の色を染める原料が非常に限られているから。東洋では「紫草」の根を原料とする紫根染めが伝統的な方法ですが、この紫草は白く可憐な花を咲かせる多年草で、着物一枚染めるのに必要な花の根といったらそれは大変な量を必要とするとか。平安時代には、ここ武蔵野の辺りに紫草の畑が一面に広がっていたそうです。

一方、西洋でも紫は貴重な色で、その原料は貝でした。アクキガイという貝の内臓から取り出した黄色い液に浸した布を太陽にあてると、やがて布は紫色に変化します。このなんとも魅力的な染色法は、貝紫染めと呼ばれていますが、実に3600年前から伝わる技法だそうです。そしてこちらも、服一つ染めるのに貝が1万個も必要とされる貴重な染め方と聞けば、なるほど高貴な色とされるのも分かろうというもの。

ところがどっこい、貴重な色のはずの紫ですが、平安朝の人々の暮らしの身の回りには結構紫が目に付いていたようで、源氏物語にも枕草子にもたびたび登場しています。これは種を明かせばそれもそのはずで、アイデア満載、独創性に富む平安朝の人々は、紫草の根から色を取り出すといった自然の紫を利用するだけでなく、紫という色を作り出す方法も編み出していました。

それは「二藍染め」と呼ばれていますが、要するに藍(蓼藍)と紅花(呉藍)の二つの色をかけ合わせて紫を作るというもの。これだと、まさに様々な色合いの紫が無限に作られます。「枕草子」には、いけてる男性の平時服の直衣(のうし)は二藍で染めらたもので、若いほど赤味に染めるのが良い、なんて書かれています。ちなみに、「藍」というのはその当時の染料の代名詞でしたから、紅花が中国の呉の国から伝わって来たときに「呉の国から来た藍」という意味で「くれあい」と呼ばれていたそうです。「紅」という字を今でも「くれない」と読むのはその名残りです。

さてさて、虹の話。「紫」の色のいろいろを考えてみれば、ますます一番外側に「紫」があるってのも違和感がつのるというもの。しかしまあ、そこを「菫色」ということにしてしまうと、その外側にある見えない光線を「すみれ色外線」というのも語呂が悪いから、ええいままよ、「紫外線」に免じて「紫」ってことで手を打ちますか。


Thursday, May 9, 2002

あやうく忘れるところでしたが・・・、ついにというかようやくというかアメリカからの引っ越し荷物が我が家に到着しました。実に72日ぶりのご対面。ボストンを離れる直前にギリギリまで残っていた荷物は郵便局から送りだしましたが、そちらは一足先に(というのもはばかられるほど時間はかかっているのですが)2週間ほど前に到着したものの、2か月の船旅を終えた品物の数々はまさに疲弊し尽くしてしまっていて、プラスチック製品などは粉々に姿を変えての再会となりました。

一方、今回届いた荷物は日通のシーパックという船便サービスでしたが、さすがに日本の大手の業者のサービスとあって、2か月前の荷造りをしていた頃がふっと目の前に現れるようなそのまんまの状況で届けられました。

それにしても、おかげで我が家はまたもや段ボールの山に囲まれての生活に逆戻り。来月中旬までは身も心も余裕がない状況なだけに、しばらくこの状態が続きそうです。


Thursday, May 2, 2002

先週末のこと。ボストン・レッドソックスのDerek Lowe投手が、チームとしては昨年の野茂英雄以来となるノーヒットノーランを達成し、こちら日本でもその偉業がニュースで伝えられました。そのニュースを遠出先の福山のテレビで聞いた瞬間は、まわりにいたのがボストン時代の知り合いの面々だったこともあっておおはしゃぎ。いやあ、嬉しかったなあ。

Lowe投手といえば、一昨年には大魔神佐々木投手を上回る年間42セーブをあげるほどのレッドソックスきっての抑えの切り札でした。しかし、昨年は全くの鳴かず飛ばずの成績に、ついには本拠地のフェンウェイパークのファンからも、登板するやいなやブーイングの嵐を浴びせられる始末。そして、大家投手との交換トレードでモントリオール・エキスポズ(余談だけれど、球団消滅騒ぎの中で選手の補強を全く許されなかったこの球団が、その大家投手と吉井投手の活躍もあって、なんと現在ナ・リーグ東地区の1位にいるとは、天晴れ、アッパレ)からやって来た新ストッパーのUgueth Urbinaの活躍により、完全にお役御免となってホント気の毒だったのです(あ、いや、そんな僕も昨年はLowe投手がマウンドに上がるやブーイングこそしないまでも、はあ〜、とため息をもらしていたのは・・・内緒)。

今シーズンの開幕前に役不足のレッテルを張られて突如解雇されたケーリガン監督が、昨シーズン途中のヤンキースの追い上げムードの真っ只中に強引に解雇されたウィリアムズ監督の後を受けて、ピッチングコーチから監督の座についたのは、とりもなおさずLowe投手の成績不振の「おかげ」だったわけですが、さすがに手塩にかけて育て上げた愛弟子の見る影のなさに、シーズン終盤には仰天の先発指令で再生を図ったのは今となっては彼の置き土産となりました。

それにしても、開幕前の春のキャンプのLowe投手のトレーニングはただただスタミナをつけることに徹していたと聞いて、過去の栄光をかなぐり捨てても先発での成功に並々ならぬ決意を持っているのだなあと思っていたので、本当にこの快挙は嬉しいなあ。彼も新聞でのインタビューに答えて「ここで(フェンウェイパーク)ブーイングを浴びせられたことが、僕の人生の財産です」なんて答えているあたり、僕の知っているつっぱりヤンキー兄ちゃん投手からひとまわり成長したようで。

そのLowe投手の今季のこれまでの成績は、なんと4勝1敗で防御率は2.04。ヤンキースを抑えてア・リーグ東地区の1位となっているレッドソックスの原動力の働きっぷりに、海を越えて僕もますます応援のボルテージが上がりそう。


ボストン編へ最新版へ


 画像への無断リンクを除いてリンクフリーです。
 ご意見・ご感想はe-mailでお願いします。
Copyright (C) 1996-2002/ yabe, t. (web@yabets.net)