備忘録

日々の出来事やその日に仕入れた情報をお届けします


Wednesday, October 23, 2002

京都の学会から帰京後、科研費の申請書を2つほど書き上げて、月曜日には研究所のセミナーを済ませ、ふう、ようやく普段の実験三昧の日々に戻りつつあります。東京はもうすっかり肌寒い秋風が吹くようになって、毛布を掛けて寝てもしっくりする今日この頃。

京都では、メインのポスター発表に加えて、初めてシンポジウムでの演者としても参加しました。最近の学会発表の主流となりつつあるPowerPointでのプレゼンテーションも初めての経験で、うまく進行出来るかどうかちょっと緊張しましたが、まあいつものように始まってしまえばなんとかなるもので、会場に集まった250人ほどを前に無事に役を終えることができました。めでたし、めでたし。どんな顔ぶれだったかは、このプログラムをどうぞ。

ところで、京都での宿泊には伏見のビジネスホテルを利用しました。会場は京都市の北端の宝ヶ池にある国立京都国際会議場ですから、どうみても明後日の方向に泊まっているように思われますが、なんといっても5,000円というそのお代の魅力には勝てません。伏見といえば、今から14年ほど昔の苦難(?)の時代に、夏季講習を受けに通った予備校の寮があった場所。会場から遠いとは言っても、そこは勝手知ったる場所だけに、安心していたのですが・・・。はあ、最寄りの京阪電鉄の駅から会場まで、ゆうに1時間もかかるのは、全くの誤算でした。おまけに交通費まで余計にかかった・・・。

さてさて、実験三昧の日々が始まったのもつかの間、あまりのんびりしていられない事態も迫っています。来月18日に迫った「GlycoTOKYO2002」というシンポジウムの演者としての準備もしなければ。プログラムによると45分の発表ということなので・・・、さあ大変、大変。でも、楽しみでもありますね。

あ、そうそう。都合2度行われたノーベル化学賞受賞者の田中耕一さんの学会での講演は、ものすごい人気の中、聴講希望の長い人の列を見ただけで、結局本人の声を聞くことは出来ませんでした。まあ、いずれどこかで会う日も来るでしょうから、その日までの楽しみということで。


Saturday, October 12, 2002

ここのところ、東京は武蔵野も、陽が落ちたとたんに肌寒いほどの涼しさが空気を支配するようになってきました。こたつの恋しい季節がまたやって来たなあという感じです。

僕はといえば、夏の間、汗を流すのはもっぱらシャワーばかりで、風呂に入ることもほとんど無かったのですが(・・・こう書くとなんだか汚そうだけど・・・)、今日は久々に湯船にお湯を張ってゆったりと湯に浸かってみました。はあ、ごくらく。

ところで、月曜日から始まる京都での日本生化学会では、いまや時の人となったノーベル化学賞の田中耕一さんの講演も。これは、もともとプログラムに組まれていた企業セミナーの田中さん自身の講演を特別講演に格上げしてのものとなるようですが、ここで発表される田中さん主導で完成させた島津製作所の新製品が、これまたノーベル賞ものと噂される驚愕の逸品なのです。

というのも、今回のノーベル賞の受賞対象となった「MALDI-TOF-MASS」という原理・装置は、それまでは考えられないほどの微量な量のサンプルさえあれば、それがどんなタンパク質であるかということを解析出来るようにしたということで確かに画期的な技術であったのですが、その成果を出すためには、ヒトやマウス、フグ、イネ、シロイヌナズナなど、ゲノムのデータベースが公開されている生物種でないとタンパク質を同定できないという決定的な限界があったのです。しかし、今回満を持して年内にも1億円ほどで販売されると言われているこの装置は、質量分析をn段階繰り返すことによって、まったく知られていないタンパク質のアミノ酸配列を解読することが出来るというもの。これこそまさに、我々研究者が待ち望んでいた夢の装置なのでした。

島津製作所が世に送り出したノーベル賞作品の質量分析器は、実は1台しか売れなかったのですが、今度の新製品はノーベル賞受賞のタイミングの良さもあってかなり売れるでしょうね。まあ、うちでは買えませんが。

それにしても、アメリカでは僕の実験にもこのMALDI-TOF-MASS装置を使っていたのですが、日本人がその原理を発明していたなんてつゆにも知らなかったなあ。いやあ、ホントにすごい、すごい。

さてさて、田中さんを拝見するのも楽しみではあるのですが、日本に帰国してから初めてとなる日本語での僕の発表の方も、何とかうまくこなしたいですね。参加者の皆さん、どうぞお手柔らかに。というわけで、明日は横浜で友人の結婚披露宴に参加し、その後木曜日まで京都に滞在です。


Sunday, October 6, 2002

 なんともびっくり。ヤンキースが地区シリーズで早くも敗退とは。これ、アメリカ・メジャーリーグベースボールのプレーオフの話です。

 しかも、アメリカンリーグ4連覇を達成中のヤンキースを破ったのは、アナハイム・エンジェルスというから二度びっくり。勢いというのは恐ろしいです。まあもっとも、今年のヤンキースときたら故障者ばかりで、およそかけたお金に見合った効果が期待出来ないようではありましたが。

 このアナハイム・エンジェルスは、1961年に創設された比較的新しいチームです。当時「もう一つのL.A.のチーム」と呼ばれ、ほとんどドジャーズのおまけのような存在だったそうです。何より、エンジェルスを悲劇の主人公に仕立て上げているのは過去のプレーオフの歴史。今回でプレーオフへの進出は4度目となりますが、1982年と1986年のそれは「アナハイムの呪い」として地元市民に語り継がれているのです。

 まずは1982年。リーグ優勝決定戦でミルウォーキー・ブリューワーズ(現在はナショナルリーグのチームですが、1970年にシアトルからパイロッツが移ってブリューワーズとなって以来1998年まではアメリカンリーグのチームでした。ちなみに、シアトルにはその後、1977年になってマリナーズが誕生しています)に2勝0敗とリードするも残り3試合に全敗し、初めてのワールドシリーズを逃してしまいました。

 そして1986年。同じくプレーオフのリーグ優勝決定戦で、ボストン・レッドソックスに2勝0敗とワールドシリーズ進出への王手を懸けたエンジェルスでしたが、第3戦目の勝利をあとアウト一つとしてから逆転ホームランを浴び敗戦。そして続くその後2試合も落として、またしてもリーグチャンピオンとはなれませんでした。実にリーグチャンピオンとなる機会を6度も与えられながら、すべてことごとくその手から滑り落としてきた歴史。果たして、このプレーオフ初「勝利」で、その勢いに乗ってあと2つの階段も駆け登ってしまうのでしょうかね。

 というわけで、リーグチャンピオンになるにはまだもう一つ前に立ちはだかる壁があるので、そこで「のろい」復活とならないことを祈るばかりです。

 ところで、昨年のワールドチャンピオン、アリゾナ・ダイヤモンドバックスもなんとも0勝3敗のストレートでセントルイス・カージナルスの前に敗退してしまって、今年はちょっと毛色の違ったワールドシリーズが楽しめそうです。まあもっとも、僕のシリーズ予想のツインズ対カージナルスに一歩一歩近づいているのですが。楽しみ、楽しみ。

 おっと、その前に、来週の月曜日から京都で始まる「日本生化学会」の発表準備を早いとこ終わらせないと。



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