メジャーリーグ通信

過去の備忘録の中からメジャーリーグの話題をピックアップしてお届けします

1999年
 7月13日
  ボストン市民が待ちに待ったメジャーリーグ野球の祭典「オールスターゲーム」がやってきた。アメリカ人と言えどもちろん野球なんて退屈なだけだと、嫌っている人もたくさんいるし、実際に僕のまわりでも何人か知っている。しかし、大リーグのオールスターは、3日もやる日本とは違って年に1回きりで、おまけに30チームあるので地元には30年に1回しかまわってこないお祭りとあって、街は僕が到着した時にはすでにお祭りモードに突入していたし、1週間ほど前からは地下鉄に乗ると気分を盛り上げるように、ここがオールスターの行われるフェンウエイパークですなんていうアナウンスがされていた(ちなみに最寄りのKenmore駅は僕のアパートの駅から所要時間10分ほどの3つめの駅で、毎日の通勤途中にある)。
 そして、このオールスターの開始時間が午後8時だったので、思わず実験を急いで終わらせて、30分遅れで行ってきてしまった。フェンウエイパーク(フィールド・オブ・ドリームの舞台でアメリカ最古の球場、ボストン・レッドソックスの本拠地)に着くとちょうどセレモニーの最中で、カナダ国歌が歌われているところだった(大リーグには2チームカナダのチームがある)。そして次にアメリカ国歌が歌われ、最後の盛り上がりが絶頂に達して歌声が途切れて拍手が始まろうとしたその瞬間・・・ゴーーーーーと轟音とともに戦闘機がほとんど球場すれすれを飛び去って行った。一瞬なにが起こったのかと思ったほど、ものすごい音とその迫力に圧倒されてしまったけれど、直後のあちこちから聞こえてくる赤ん坊の泣き声で我に返った・・・。もちろん、球場には入れなかったけれど、外ではマグガイアやソーサのホームランボールを取ろうという人で溢れていて、まさにお祭り気分。おまけに地元ボストンのエース、マルチネス(すでに前半だけで15勝していて久々に30勝ピッチャーの誕生かと騒がれている。今回のオールスターゲームのMVP)が先頭打者から4番まで(3番ソーサ、4番マグガイア)連続三振に切って取ったものだから、それはもうすごかった。  けれども、会場の外では打者のアナウンスと時折起こる歓声しか聞こえてこないので、1時間ほどで球場を後にして家でテレビで見るかなと思ってアパートへと。駅を降りるとなんとなく暗い気がしたけれど、アパートの前の交差点でびっくり。なんと、信号のランプがまったく点いていなくて、ほとんどパニック状態で警官が暗い中、交通整理をしていた。いやな予感と共にアパートに向かうと、案の定アパートも停電中で、どうやらここら辺一帯が3時間前から停電状態でいつ回復するか分からないとのこと。テレビどころか電気が点かないのではしょうがないので、迷わず球場に逆戻りと相成りました。しかし、停電なんて小学生のときに経験して以来かな。

1999年
 7月16日
  オールスターゲームの興奮もさめやらない(といっても僕は会場の外で歓声をきいていただけだけど)本日、今度は球場の中で生でレッドソックスの試合を見ることが出来た。今日はこちらに来てから知り合った方の誕生日で、仲間たちの「球場で誕生日を祝おう」という呼びかけに一緒に混ぜていただいたもの。BLEACHERという外野席で18人の日本人が誕生ケーキ片手にレッドソックスを応援した。女性の方々は浴衣姿で、我々もうちわを持っての応援だったから、もしかするとテレビ中継なんかで紹介されてるかもなあ、なんて思いながら。でも、本当にグッドな企画でした。
  ところで、今日はレッドソックスは負けちゃったけど、なんでも元横浜の大家(おおか)というピッチャーが、マイナーリーグで今季開幕から10連勝という記録を引っ提げてレッドソックスにメジャー昇格をすることが決まったそうな。めでたい。

1999年
 9月27日
  今日はMITのラボメンバー、ボス以下総勢13人がフェンウエイパークに繰り出して、野球観戦。レッドソックスが、本拠地であるこの球場で試合をするのも今シーズン最後(プレーオフがあるので実際にはまだ試合がある)ということで、1カ月も前からチケットを確保していたのだが、それにしてもこのラボは1カ月に1回は何かしらのイベントを企画しているような・・・。ま、楽しくて良いのだが。球場では「今世紀最後のレギュラーシーズン」という掲示とともに結構な盛り上がりで(アメリカ人の大多数が今年を今世紀最後の年と考えている)、おまけに今日のピッチャーは、すでに23勝を挙げ、300奪三振を記録しているペドロ・マルチネスなもんだから、午後7時5分開始の時点ですでにハイテンション状態。
  ところで、野球が世界的にメジャーなスポーツだと思ったら大間違いで、ラボのメンバーの中で野球を見たことがあるのはアメリカ人だけだと言っても過言ではない。そんなわけで、今日の仕掛人でボストン出身の熱狂的レッドソックスファンの大学院生の命令で、今日が初めての野球観戦となるドイツ人とアルゼンチン人のポスドクの奥さん2人を僕の両脇に座らせて、僕が解説することとなった。ところが、小さい頃から野球に親しみ身近に存在していた者の説明を、今日まったくもって初めて野球に接する人に理解してもらうのは、まさしく至難の技。なにせ、ストライク、アウト、ヒットの説明からしないといけないのだから。それでもあらためてルールを考える機会にはなったけれど。
  マルチネスの12奪三振あり、ホームランあり、乱闘シーンあり、と盛りだくさんの試合と、試合が終わっても何か釈然としない顔の両脇の2人と、複雑に充実した野球納めだった。

Monday, July 17, 2000
 メジャーリーグのアメリカン・リーグ東地区に属するボストン・レッドソックスは、現在3位。それでも、1位のニューヨーク・ヤンキースとはわずか1.5ゲーム差だから、まだまだ長いシーズンを考えれば、そう慌てふためくこともない。

 が、何とも厳しい試合運びを強いられている昨今の状況からか、あるテレビ局が視聴者にアンケートを実施した。

「この状況を打破するためには、球団はどうすべきだと思うか」

 寄せられた回答を集計した結果、「マイナーリーグから調子の良い選手をどんどん登用する」という2位の意見を抑えて、実に58%という高い回答率となったのは、なんと「日本から選手を探してくる」という意見。

 いまや「助っ人」としてアメリカ人の目に映る日本のプロ野球選手。今年は、マリナーズの佐々木投手(21セーブ@ア・リーグ3位)や、ロイヤルズの鈴木投手(防御率ア・リーグ3位)の活躍が目立っている。ボストンの大家も早くメジャーに上がってこないかなあ。


Wednesday, August 2, 2000
 昨日のメジャーリーグ。ケーブルテレビに加入していない僕は、地上波での放送でないと試合を見ることが出来ないのだが、昨日のゲームはFox Sportsという地上ライブだったので、家に帰り着いてから寝るまで、ずっとテレビはつけっぱなし。

 昨日は、レッドソックスとマリナーズの試合が敵地・シアトルで行われたので、東海岸での試合開始時間は午後10時5分。まあ普段でも西で試合があるときは、終了までつきあっているためには気合いがいるのだが、昨日は延長に入っても決着がつく気配もなく、しかたなく途中で断念して床に就いた。

 朝起きて結果を見ると、なんと今季メジャーリーグ最長となる延長19回に、サヨナラホームランで決着がついていた。サヨナラというくらいだから、我らがレッドソックスが負けたわけだが、マリナーズの勝ち投手は「DAIMAJIN」佐々木。なんでも、最終回の1死満塁の場面で登場し、残り二人を三振と一飛に仕留めて、その裏の決着弾に流れをつなげたとのこと。

 ア・リーグ規定では延長戦は午前1時で打ちきりで、決着がつかなければサスペンデッドゲーム(一時停止試合)となり、夜が明けてから続きをやることになっているのだが、試合が終わったのは、制限時間まで残り21分の午前0時39分。東海岸では、実に午前3時39分という時間。まったく大リーガーというのは、タフである。

 ちなみにこの2チームは、1981年の8月3日にも、ここボストンのフェンウェイパークで 、延長20回に決着がつくという試合を記録している。



Thursday, August 17, 2000
 9回裏、2アウト満塁。6対7と1点差と迫り、バッターは前の回に4番打者の代打として入ったランシング。総立ちの観客の大声援は、彼が相手の抑えのエースのスピードボールをとらえると同時に、悲鳴にも似た大絶叫へと変わる。そして、その打球がフェンウエイ球場名物の、グリーンモンスターに跳ね返るのを確認すると、球場はまさに割れんばかりの歓声に包まれた。

 というわけで、雲一つ無い晴れわたる空の下、レッドソックスとテキサス・レンジャースの試合を観戦してきた。実は今日のチケットは、ロシア人の同僚の奥さんからのプレゼント。彼女の勤める不動産会社のコネで手に入れたものだから、ピッチャーの顔やバッターを間近で拝める「ボックスシート」という絶好の場所での観戦となった。

 一時4点差をつけられていた試合は、劇的な逆転での勝利。興奮のるつぼとなったサヨナラゲームは、スコアも野球の試合で最もおもしろいといわれるルーズベルトスコアの8対7。

 実は、通算7度目となるメジャーリーグの観戦で、サヨナラゲームは今日が3度目。何という幸運。それ以外はすべて負けているから、つまりは9回までいつも我がチームが負けている状況ということになるが。

 絶好の天気と絶好の場所、そして隣には・・・試合の状況とはほぼ無縁に絶叫を繰り返すおばさん二人。ルールの解説を求めたかと思うと、野球のスラングを教えてくれたりして、なんだか忙しい。まあ、野球好きということには変わらないから、全然知らない人とでも、こうして選手のプレーに一喜一憂したりしているのもおもしろい。

 エキサイティングなゲームを観戦して、至福の時を過ごした肌寒い夏の夜。



Wednesday, August 23, 2000
 毎日歩いてラボまで通う途中に、レッドソックスの本拠地フェンウエイパークがある。

 この球場は1912年に建てられたもので、現在メジャーリーグの各球団の使用している球場の中でも、2番目に古い球場として知られている。古いだけでなく、球場そのものも小さいので、収容能力は3万5000人ほどしかなく、そのせいもあって地元での試合はいつも満員で、おまけに9月末のシーズン終了までのチケットは、もうすでにほぼ完全に売り切れてしまっている。

 そのため、わずかに確保されている当日券を求めて、朝9時の発売開始を待つファンが、チケットオフィスの前に並んでいる姿をよく目にする。前日に発表される先発投手が、エースのペドロ・マルチネスでもあろうものなら、その列もかなりの長さになることもしばしば。その反面、あまり期待の持てないピッチャーともなると、「今日の試合はないんだっけなあ」と思ってしまうくらいに、誰も並んでいなかったりする。なかなかシビアではある。

 今日は、長谷川投手のいるアナハイムとの試合だが、球場の脇を通ると人の列が出来ていた。その今日の先発は「Tomo Ohka」。相手ピッチャーもルーキーだから、この人気は大家投手本人の人気を表わしているようだ。その彼は、現在2連勝中で、安定したピッチングぶりから地元民の人気急上昇中である。

 雨のために試合開始時間が大幅に遅れたので、0時50分現在まだ試合は終わっていないが、大家投手は、最速153km/hの速球を駆使し、5回3分の1を投げて1失点とまたまた期待を裏切らない働き。勝利投手の権利を持ってマウンドを降りるときには、観客総立ちの拍手を受けていたようだ。ラジオでの観戦なので、実際には見れなかったけれど。

 アリーグ1位のヤンキースとは3ゲームの差。大家投手の活躍が、このゲーム差を「僅かな差」に見せてくれている。


Sunday, September 3, 2000
 いよいよ2000年のアメリカンフットボールのレギュラーシーズンが開幕。ボストンを拠点とするニューイングランド・ペイトリオッツは、地元のフォックスボロにタンパベイを迎えての開幕戦となった。新ヘッドコーチとなったビル・ベリチックの初戦でもあるわけだが、プレシーズンマッチを見る限り、新戦力がチームに溶け込んでいる感じで、なかなかに期待の持てる様相。

 しかし、いざ始まってみると、なんとも思い通りにはいかないプレーが多く、16対21で惜しくも敗戦。まあ、始まったばかりではある。

 夕方からは、野球のレッドソックスの試合を見に、フェンウエイパークに出かけた。今日の先発は何とも奇遇なことにまたまた「Tomo Ohka」。このチケットは2カ月前に取ったものなので、まさに奇縁なり。前回の観戦では、惜しくも負け投手となってしまったので、今度こそは。

 対戦相手はシアトル・マリナーズ。横浜から移籍の佐々木投手のいるチームだ。試合は、初回に大家が2点を先制され、その後よくしのぐものの、味方に8回まで1本のヒットも出ない状況では、ちょっと彼に酷な試合となった。6回で降板した内容としては、絶好調とは言えなかったかもしれないが、まあ悪いなりに試合を作ったという点で、首脳陣の信頼を裏切る結果とはならなかったに違いない。

 さて、8回を終わって0対3と敗色濃厚。こうなっては仕方がない。9回に佐々木の登板を見て、逆転サヨナラ満塁ホームランを期待するも良し、さもなくば、ア・リーグ新人の新記録達成となる佐々木の記念すべき32セーブ目をこの目に収めるも良し。

 ところが、我らがレッドソックスの中継ぎ投手たるや。9回の表にマリナーズを代表する強打者、ロドリゲスのホームランを浴びてしまった。5点差をつけられ、セーブの付かない場面となってしまっては、佐々木の登板も望めない。案の定、僕の目の前のブルペンで投球練習をしていた佐々木は、ホームランを見るやさっさと奥に引っ込んでしまった。

 試合はそのまま終了し、レッドソックスの負け。大家に負け星が付き、佐々木の投球も拝めなかった。まあ、すっかりマリナーズのユニフォームが板についた佐々木の、ブルペンでの投球練習をする姿だけは見れたのでよしとして。日本の横浜スタジアムのマウンドで、仁王立ちしていた姿を見たときとなんら変わることは無かったのが妙に印象的だった。

 というわけで、アメフトは負けるは、野球は負けるは、ついでに言えばサッカーのレボルーションも負けて、なんともボストンの気概の上がらない一日となった。


Saturday, September 9, 2000
 昨日の大家、今日のマルチネス、ともにレッドソックスが誇るピッチャーの投球は、本当にすばらしかった。チームの防御率1位、2位コンビにふさわしい内容だったと思う(大家は現在防御率2.79と先発投手陣中2番目の成績)。ちなみに、ベースボールの話。

 しかし、宿敵ヤンキースには二日とも勝てなかった。これは相手が悪いとしかいいようがない。

 ノブロック、ジーター、オニール、マルチネス、ポサダと名前だけで敵を圧倒できる打者がずらりとそろっているにもかかわらず、更にインディアンスから強打者ジャスティスをトレードで獲得し、それでもまだ物足りないのか、かつてアスレチックスでマグワイアと共に「バッシュ・ブラザーズ」と恐れられたカンセコをデビルレイズから補強。これで、点が入らない方がおかしいという布陣である。

 そう考えると、昨日6回3分の1を投げてわずか5安打、自責点1点でこの強力打線を沈黙させた大家のピッチングが、いかにすばらしかったかがわかろうというもの。特に3回までを9人の打者で切ってとったのだから、エースの風格さえ漂う堂々たるもの。もう完全にレッドソックスのプレーオフ出場の鍵を握っているピッチャーと言って良いと思う。

 それでも、勝てるとは限らないのが勝負の世界の厳しいところ。結局は、勝たないことには評価はされないのが現実でもある。

 とは言え、全力を尽くす過程が、後の結果を導くのも事実。大家投手には、今後の成果を楽しみに、是非頑張ってほしいと思う。


Wednesday, October 18, 2000
 実験機器を求めて、いろいろなラボをさまよっている僕は、それぞれの部屋へ出入りするための鍵を常時持たねばならず、まるで鍵コレクターにでもなったかのごとくじゃらじゃらと鍵を持ち歩いている今日このごろ。

 アパートの鍵と合わせて、実に12もの鍵を持ち歩いている。なんだか、ガードマンになった気分でもある。

 さて、メジャーリーグはついに44年ぶりのニューヨーク決戦でのワールドシリーズを迎えることとなった。

 1956年のヤンキースとブルックリン・ドジャース(現在のロサンゼルス・ドジャース)のシリーズは、それはもう大変な騒ぎだったらしいが、果たして今回はどうなることやら。なんせ、メッツのファンときたら、その荒らくれぶりはアメリカでも有名だから、イギリスのフーリガン並の熱狂的な応援合戦が見られるかもしれない。

 それにしても、短期間でここまでチームを育て上げたメッツのバレンタイン監督の雄姿を見ていると、千葉ロッテファンのため息が聞こえてきそう。なんでまた志半ばで監督を辞めさせてしまったのかと。

 というわけで、すっかりボストニアンと化してレッドソックスファンとなってしまった身としては、ヤンキースに良い思いをさせるわけにはいかないから、当然メッツを応援することにして、21日からのワールドシリーズを楽しみにしている日々。


Thursday, October 26, 2000
 さて、44年ぶり14度目となるニューヨークの地下鉄シリーズとして盛り上がっていたワールドシリーズは、いずれも接戦を制してのヤンキースの3連覇(通算26度目の大リーグ制覇)で幕を閉じた。地下鉄シリーズはこれで11勝3敗とめっぽう強いが、そもそも大リーグには30もチームがあるのに、歴史上その4分の1でチャンピオンとなっているのだから、強すぎるといった感もある。

 20年前のメッツで監督と選手の関係にあったトーリ監督とバレンタイン監督だが、監督としてワールドシリーズを16勝3敗という史上最高の勝率を誇る名将ぶりをまざまざと見せつける形で、トーリ監督の貫禄勝ちに終わった。それにしても、好ゲームの連続でなかなかに印象に残るシリーズだった。

 そういえば、ラジオを聞いていたら日本シリーズの話題を伝えていて、どこかで聞いたことのあるような日本人の声が。『Japanese reporter, Mr. Pancho, said....』

 なんとワールドシリーズを取材に来ていたパンチョさんが、インタビューに応えて日本シリーズを解説していたのだった。ドラフト会議の司会として長く親しまれていた伊東さんは、今や世界的に「パンチョ」さんになったようで。それにしても、なかなか英語がうまい。ちなみに、日本シリーズの「ON対決」は、こちらでまさに「O-N Showdown」と紹介されている。


Thursday, November 2, 2000
 さて、アメリカではもうすっかり野球の話題から縁遠い季節を迎えているが、日本ではこれから日米野球が始まるとのこと。僕も4年前のその試合を見るために、東京ドームに出向いたことがあるが、お祭りとは言え、そこは大リーガーのプライドで、きっちり魅せる野球をしてくれるので、かなりお勧め。なにしろオールスターぞろいである。

 ヤンキースと言えば、金に糸目を付けずに選手を集めてくるチームとして知られているが、スカウトの目も一流であるので、連れてくる選手が金額どおりの活躍を見せてくれるものだから、見てる方としてもまあそれなりに楽しめるチームではある。

 方や、ナ・リーグ一の金持ちチームと言えば、100億円の総年棒を誇るドジャースである。しかしこちらはここ2年ほど、プレーオフとは縁のない状態。そんな状況を打破するべく、これまで指揮を取っていた元巨人のジョンソン監督を解任し、1983年から2年間大洋ホエールズに在籍したトレーシー氏を監督に就任させた。

 これで、大リーグの監督の日本野球経験者は果たして何人目だろうか。現役では、メッツのバレンタイン監督とインディアンスのマニエル監督(ヤクルト初優勝の立て役者!!)がいるけれども、昨年のタイガースのパリッシュ監督(ヤクルト)やジョンソン監督のように、なかなか長く指揮を取れないのが寂しくもある。トレーシーさんには、是非とも頑張って欲しいものだ。


Saturday, November 25, 2000
 ボストンレッドソックスのスポークスマンによると、来年のフェンウェイ球場の入場料が、またまた値上げされるとのこと。しかもその値上げの幅たるや、一番安い外野の上部席が、14ドルから18ドルになるという。

 おまけに、ボックスシートは40ドルから、なんといっきに55ドルに引き上げられるそうだが、実はこの席の値段は2年前には27ドルだったのだから、たった3年の間にほぼ2倍になることに。

 レッドソックスの入場料は、メジャーリーグ30球団の中で、最も高いことで有名だが(フェンウェイ球場の平均入場料は28.33ドル)、この値上げによってその地位は安泰となることだろう。ファンとしてはあまりめでたい話ではないが。

 フェンウェイ球場は、収容人数がわずか34,000人ほどしかない小さな球場だけれど、選手の年棒総額は約100億円と、ヤンキース、ドジャース、ブレーブスに次いで高額であるため、どうしてもそのしわ寄せが入場料にきてしまう。しかも、全シートの45%はシーズン券で抑えられている上、シーズン券の値上げ分は、1試合あたりわずか3.8ドルと外野席の値上げ分よりも低いために、その分も普通のチケットに上乗せされているようだ。

 2年連続で首位打者となったガルシアパーラーと、サイ・ヤング賞を獲得したマルチネス投手を擁するレッドソックスが、長らくワールドシリーズとは縁のないのもちと寂しい。決定されてしまったからには、値上げに見合った活躍を期待したい。このフェンウェイ球場は一年を通して席が95%以上埋まってしまうほど、アメリカ一高い入場料を払ってでも試合を見たいという、ファンに支えられているチームなのだから。

 さあて、来年に備えて、今から貯金しないと。


Monday, December 11, 2000
 今世紀最後の満月となった今日だが、残念ながらボストンは星一つ見えない曇り空。先月の満月が、今世紀の見納めだったはずだが・・・当然のことながら、もう記憶にはない。

 さて、この時期はプロ野球選手の契約更改の話題が、日米を問わずニュースをにぎわせている。特にこちらアメリカの話題といったら、国の大きさ同様、ちと規模の違いさかげんに驚きを通り越して呆れてしまうほど。

 グリフィーJr.が去ってからシアトル・マリナーズの看板選手として活躍していたアレックス・ロドリゲス遊撃手は、レンジャースと新たに契約を結び、25歳にして10年契約で2億5200万ドル(約279億円)というとてつもない金額を手にすることになった。

 いったい、どうやって使うんだろう。

 それから、阪神の新庄はFAでどこに行くのかと思っていたら、なんとニューヨーク・メッツとメジャー契約を結んだとか。イチローのメジャー契約は、こちらでも大変な話題となって、ラボの野球好きの面々で知らない者はいないほどだったけれど、新庄については残念ながらまだあまり知られていないようだ。

 日本のプロ野球に転じて、個人的には、今年大阪近鉄にドラフト指名された 金谷剛選手を応援したい。日本でも、たぶん史上最高齢の新人プロ野球選手と騒がれたかもしれないが、彼は何を隠そうレッドソックスのマイナーでプレーをしていた選手。表舞台に上がりたいという夢をついにかなえて、さてどんなプレーを見せてくれるか。大いに期待したい。


Friday, December 15, 2000
 レッドソックスから2年契約で総額約7億円にも上るオファーを受けた、ヤクルト・スワローズの川崎憲次郎投手が、正式に入団を断る旨を球団に伝えたそうだ。基本年棒約2200万円でメッツ入りを決めた、阪神の新庄選手とは対照的な決断。

 その理由は、奥さんと2歳になる娘さんを犠牲にしてまで自分の夢を追うことはできなかった、からだそうだけれど、川崎投手をここボストンで見ることが出来なくなってしまったのは、ちょっと残念。家族のために・・・なんて、そんな風に言ってみたい気もほんのりするところが、また複雑なところではある。

 彼は僕と同い年で、大分の津久見高校を卒業してスワローズに入団するやすぐさま活躍。もちろん、僕はそれ以来のファンである。彼の当時の活躍ぶりは、現在の松阪投手の西武での活躍にほぼ匹敵するものだったと確信するほど、彼は僕の一押しピッチャーである。

 ところで、今年大活躍したレッドソックスの大家投手もボストンを去ることになって、なんだかちょっと残念だなあと思っていたところに、新たな朗報。

 お昼の食事から研究室に戻ってきたところ、ラボ一番のレッドソックスフリーク(最近その座がこちらに譲られそうな雰囲気ではある)の大学院生が、「Tomio!」と抱きつかんばかりに走り寄ってきた(ちなみに女性)。ちょっとドキドキしていたら、何のことはないレッドソックスの話で、「トルネードが契約した!」とはじけんばかりの笑顔で叫ぶものだから、初めはなんのことやら分からなかったけれど、どうやら野茂がボストンに来るという速報を耳にしての歓喜だったようだ。

 タイガースからFAとなっていた野茂英雄投手が、レッドソックスと1年契約を結んだというのは、その後インターネットで確認。

 来年はフェンウェイパークで野茂投手の活躍が見られるとは、これはもう今からかなり待ち遠しい。


Tuesday, December 19, 2000
 12月15日のこの欄で書いたように、僕は今の今まで、てっきり大家投手は来シーズンはモントリオール・エクスポズでプレーすることが決まったものだと思っていた。というのも、エクスポズのエースDustin Hermanson投手とのトレード話が持ち上がったときに、モントリオールは大家投手をその交換要員として直接指名してきたというニュースが流れてきて、もうすでに決まった話だと僕は思っていたのだ。

 ところが、実はそのトレードは未成立に終わっていた。Hermanson投手は、結局カージナルスに移籍していた。そうなったいきさつは、レッドソックスのDan Duquetteジェネラルマネージャーが「今後チームの核となる選手だから絶対出せない」と、大家投手の移籍を猛烈に拒否したそうで、おまけにエクスポズに限らず、他球団から引く手あまたのオファーが大家投手にあったものをすべて断ったという記事が新聞に載っていた。

 そもそも野茂を獲得したのも、大家が尊敬してやまない大投手を先発ローテーションの中に置くことによって、それに刺激を受けて大家がさらに成長してくれることを願ったものだとのコメントも。

 いずれにしても、僕のとんだ勘違いだったけれども、うれしい勘違いで良かった、良かった。

 日本人のメジャープレーヤーは、エンジェルスの長谷川投手のように一つのチームに腰を落ち着けているケースもあるけれど、野茂投手に限らず転々とチームを渡り歩いているのが現状。そんな中、チームの核としてその将来が期待されるほどの信頼を得ている大家投手の姿は、とても頼もしく目に映る。横浜ベイスターズを解雇されたなんて、過去は過去。「決して挫折しない人生が光り輝くとは限らない。何度へこたれても再びはい上がってくる人生にこそ魅力がある」・・・と言ったのは誰だったかなあ。

 大家投手への期待はフロントだけに限らず、ボストン市民も同じ。来年もまたフェンウエイパークでその雄姿が見れる上に、先発投手5人の枠に野茂投手と共に日本人が2人いるというのは、なんともうれしい。まあ、そうはさせじと今年の大家投手のように虎視眈眈とその座を狙っているたくさんの若手との競争に、まずは勝利せねばならないが。

 今年は5回ほど球場に足を運んだけれども、来年はこりゃもう少し増えそうだ。来月販売開始の4月13日からのヤンキース4連戦のチケットは、すでに予約準備してあるしなあ。

 さてさて、つまずいても転んでも倒れても、体が丈夫に出来ていることを親に感謝しつつ、何度でも起き上がりますか。


Tuesday, February 6, 2001
 4月にフェンウェイ・パークで行われるヤンキースとレッドソックスの試合の予約が、先日始まったのだけれど、すぐに売りきれてしまうのは毎年のことだとかで、ラボの面々と初日から電話予約に挑戦。しかし、全然通じなかった電話がやっと通じたと思ったら、信じられないことに「売り切れ」とのことで、またしてもヤンキース戦はおあずけになってしまった。

 なんだってまあ、あんなにヤンキース嫌いがあふれている球場なのに、試合となるとこんなに人気があるんだか。

 ところで、日本のプロ野球は、もうすでにペナントレースに向けてキャンプインしている頃だと思うけれど、メジャーリーグのキャンプインは2月半ば。それを前に、毎年恒例のNBCテレビの各チーム分析に注目。

 ボストン・レッドソックスの大家投手は、チームからたった一人だけ選ばれて分析の対象となる「若手の期待株」に挙げられた上、何から何までも絶賛されるという異例とも言える二重丸。確かなプロの評論家のお墨付をもらって、これはなかなかに今年は期待出来そう。

 一方、実は日本人でもう一人「若手の期待株」に挙げられた選手がいる。それは、ニューヨーク・メッツの新庄外野手。

 守備は日本のトップクラスと紹介し、それほどでもない打撃も、メッツの貧打の外野手トリオに付け込めば、レギュラー取りも夢ではないとコメントしている。

 果たして実際はどうか。シアトル・マリナーズのイチローの活躍とともに気になるところ。開幕が待ち遠しい。


Wednesday, February 21, 2001
 アメリカのメジャーリーグの各チームもスプリングキャンプに突入し、いよいよ野球の匂いがたちのぼり始めた。

 今年のレッドソックスは、不動のエース、マルチネスに加えて、タイガースから野茂、ブルージェイズからカスティーロ、ヤンキースからコーン、そして昨年シーズン途中にロッキーズから移籍してきたアロッホと、大幅に先発投手陣の補強を行って、その顔ぶれを見ればもうヤンキースと十分に優勝争いを狙える布陣。さらには、メジャーの4番として名高いラミレスをインディアンスから獲得して、今から今年の活躍がたのしみで仕方がないのだけれど、不安がひとつだけ。

 いまやボストン市民の人気も上々の大家投手の行く末。メジャーでは、先発投手は中4日の間隔で登板がまわってくるのが常識となっているから、先発投手はきっちり5人しか必要がない。ということは、上のそうそうたる先発メーンバーの中に大家投手は当然割って入らなければならない。

 ほとんどのマスコミの大家評が、年齢的な不安の残るコーン(今年39歳になる)とのメジャー生き残り争いになるだろうと書いている。いやはやミスターヤンキースとまで言われた完全試合投手のコーンと、たった一つのイスを巡って争わなければならないとは、やっぱり厳しい世界。しかし、ここで勝たなければおそらくまたマイナー暮らしになってしまうだろうから、是非とも頑張って欲しい。

 ほんのちょっとだけ、コーンを見てみたい気もするのだけれど・・・いやいや、1球投げる度に鳥肌が立つような、そんな大家投手のあのピッチングは、是非ともフェンウエイ球場のマウンドで何度でも見たいから。


Friday, March 23, 2001
 何とも残念なことに、先日この欄で紹介したモントリオール・エキスポズ傘下の3Aに所属する根鈴選手が、球団から自由契約を言い渡されたそうだ。オープン戦では、外野と一塁をそつなく守っていたようだし、バッティングも決して悪くない成績を残していただけに、本当に残念。他の球団が、是非とも触手を伸ばしてくれることを祈るばかりだ。

 一方、ボストンの野茂投手と大家投手は、ウィリアムズ監督からそろって開幕ローテーション入りを宣告されたそうで、めでたくたった5人の先発投手枠を日本人二人が占めることになった。しかも大家投手は、フェンウェイパークの開幕戦となる4月6日のデビルレイズ戦での先発を言い渡された模様。

 昨年のフェンウェイパークの最終戦のマウンドにも大家投手が立っていたし、これはもう首脳陣の期待のほどがひしひしと伝わってくる。大家投手は25歳になったばかりの、まさに成長株。その期待に大いに応えて、今年もその活躍をボストンで肌に感じたいと願っている。


Monday, April 2, 2001
 さて、いよいよ今日からレッドソックスの2001年のシーズンが開幕。半年ぶりの待ちに待った野球の季節が巡ってきた。期待の大家投手は、昨年までの背番号53から、エース番号の18番をもらっていよいよそのベールを脱ぐ準備がととのった。まあ、この背番号となったいきさつは、大家の誕生日が3月18日で、日本の実家の住所が18番地だからとのことだが・・・なんにせよエース番号には変わりない。もっとも、18番がエース番号というのは実は日本での話で、アメリカでは18番に特別の意味合いはなく、アストロズのアローも、アスレチックスのデイモンも、パイレーツのケンドールも、メジャーリーグを代表するこの顔ぶれは、みんな背番号18のバッターだったりする。

 しかしそれにしても、レッドソックスのオープニングゲームが、ボルチモアと地元開催でないのには目をつぶるとして、何でまた月曜日に始まるのだろう。しかもその最初の試合開始が午後3時とは。全然、見れない・・・。これが、土曜日とか、せめて日曜日とかに始まるなら、否が応にも盛り上がると思うのだけれどねえ。

 これもおそらくテレビ局の陰謀に違いない。メジャーリーグそのものは、実は昨日開幕したのだけれども、行われた試合は、世界戦略の一環(昨年は、東京ドームでカブスとメッツの試合があった)としてのプエルトリコで開幕を迎えたレンジャースとブルージェイズの試合の1試合のみで、これは視聴率を一挙に稼ごうとするテレビ局の思惑の何物でもない。日曜日に野球の試合が1試合しかないとなれば、そりゃアメリカ中でこぞって見るだろうから。

 オリンピックの進行に口を挟むことにとどまらず、アメリカのテレビ局のスポーツへの介入といったら、想像を絶するものがある。だから、野球の試合の進行を支配しているなんてのはもはや驚くには当たらず、審判のプレーボールのコールはテレビ局のディレクターの「キュー」に従っているなんてのは、嘘のような本当の話である。おかげで、テレビで試合を見ていて、それぞれのイニングが終わって切り替わるコマーシャルの間に試合が始まって、テレビの画面がコマーシャルから切り替わったときにはすでにピッチャーがホームランを打たれてマウンドにうずくまっている・・・なんてシーンは、絶対にアメリカでは有り得ない。

 ああ、それにしてもレッドソックスは延長の末に敗戦。ガルシアパーラーは故障者リストに入ってしまったし、鳴り物入りで移籍してきたラミレスもつられて怪我してしまったし、相変わらずマルチネスが投げると打線が沈黙するし。

 まあね、始まったばかりだから。シーズンは残り161試合。まだまだこれからではある。ちなみに、次の試合の先発は野茂とのこと。


Wednesday, April 4, 2001
 ここのところ野球の話題が続いていたので、しばらく野球には触れないでおこうと思っていたのだけれど、これが書かずにはいられない「事件」を目の当たりに。

 今季からボストンに移籍してきた野茂投手が、敵地ボルチモアで、いきなりどでかい仕事でデビュー戦を飾ってくれた。自身ドジャース時代に達成して以来2度目となる「ノーヒット・ノーラン」を、メジャーリーグの歴史で最も早い時期での達成となる4月4日の今日、こともなげに成し遂げてしまったのだ(ちなみに、4月7日が開幕日だった時代の開幕戦でノーヒッターに輝いたピッチャーはいる)。いやはや、ボストン市民に向けて、まさにこれ以上ない鮮烈なデビューとなって、偉業を伝えるボストンの夜のニュースは、のきなみ「NOMO, Welcome to Boston」であった。

 ナショナルリーグとアメリカンリーグをまたいでの達成となると、これまでたった3人しかいないのだけれど、その顔ぶれたるや、サイ・ヤング、ジム・バニング、ノーラン・ライアンという、野球に親しんでいる人なら知らない人はいないような錚々たるもの。野茂は、この偉人と肩を並べて4人目の両リーグでの偉業達成という金字塔をメジャーリーグに残したことになる(ちなみに、AAのカージナルスとNLのレッズでノーヒッターになったピッチャーがたしかいたはずだけれど、この当時のカージナルスは大リーグが1リーグしかなかった時代なので、両リーグでの達成ではない)。ボストンでは36年ぶりのノーヒッターの誕生だ。

 今日は、ちょっと実験がずれ込んで、野茂の登板日だということを知っていながら、家に辿り着いたのはだいぶ遅かったのだけれど、それでも急いで帰ってみると、あにはからんやレッドソックスの試合は契約番組でしか放送されておらず、ちょっとがっくり。

 しかし、球場の電気系統の故障とやらで試合開始が1時間近く遅れているという情報に気を取り戻しつつ、しかたなくメッツの試合を観戦。けれども、この放送中もしきりに野茂の話題を取り上げていて、なかなか緊張感あふれるものではあった。

 すると、ESPNの粋なはからいで、9回に野茂がマウンドに上がるとすぐさま画面をその契約番組のものに切り替えてくれて、一部始終の(といっても9回だけだけれど)その偉業達成の瞬間に立ち会うことが出来た。そういえば、前回のロッキーズを相手の偉業達成のときも、雨で試合開始が2時間くらい遅れたのだけれど、集中力を切らすまいとするその気持ちの高ぶりが、こんなすごいことを成し遂げる力につながるのだろうか。いずれにせよ、僕はもうかなり感激している。

 ということで、感動に浸りつつ。


2001年
4月8日
野茂英雄という大リーガーの魅力
  Hideo No-No!

  2001年のメジャーリーグのシーズンが始まってまだ2試合目のマウンドに、ゲームオーバーのその瞬間、驚喜の輪が出来た。その輪の中心には、普段の仏頂面からは想像もつかないが、しかし彼特有の「子供のような笑顔」の野茂がいた。この野茂の笑顔を見たのは何年ぶりだろう。よかった。野茂はまだ昔の笑顔を持った大リーガー、『Hideo Nomo』だった。

  ホームラン量産球場とさえ呼ばれるクアーズ・フィールドを本拠地とするロッキーズを相手に、前年の新人王の勢いそのままにロサンゼルス・ドジャースのエースとして神懸かり的なノーヒット・ノーランを成し遂げた、1996年9月17日から5年の月日が流れた。野茂英雄は、1997年のシーズン終了後のひじの手術が影響してか、その年にメジャーリーグ史上最速の奪500三振を記録した速球に陰りを見せて、その後は生彩を欠いて球団を転々とした。そして、昨年まで在籍したデトロイト・タイガースからFAを行使して、21世紀となった今年、1年契約でここボストンにやって来た。レッドソックスは彼の5番目の球団となる。

  そして野茂英雄は、2001年4月4日午後10時17分のその時、ボルチモア・オリオールズを相手の敵地カムデン・ヤーヅで、両リーグでノーヒッターとなった史上4人目のピッチャーとして、新天地ボストン・レッドソックスのデビュー戦を華々しく飾った。レッドソックスのベンチでは、あの日ルーキーとしてロッキーズでその瞬間に悔し涙を流した、いまや2億円プレーヤーのDante Bichetteが、同じピッチャーの2度目の偉業をその目に焼きつけていた。そして、レフトを守るTroy O'Learyのグラブに最後のボールを打ち込んだバッターこそは、5年前には野茂の僚友としてドジャースに名を連ねたDelino DeShieldsだった。

  野茂がレッドソックスに入団したのには、ちょっとした裏話がある。まだ25歳のルーキーである大家投手に、大きな期待を寄せているレッドソックスのジェネラル・マネージャーは、どことはばからず大家投手が尊敬するピッチャーとして名を挙げる野茂投手のそのピッチングを目の当たりに見せるというまさに活きた教育を実践することで、彼をさらに成長させようという魂胆があったそうだ。そこで獲得を企んでいたMike Mussinaをヤンキースにかっさらわれるとすぐさま、FA宣言していた野茂投手はデトロイトから1年契約で獲得されたのだった。

  このちょっと複雑な事情の絡んだオファーに、野茂はむしろ喜んでサインし、ボストンに乗り込んできた。彼の尊敬するピッチャーこそは、ボストンのエースであるペドロ・マルチネスであり、同じチームでワールドチャンピオンを目指せる野球人としての喜びが、単純にお金のことやしがらみを上回ったようだ。そして、ペドロに身近に接してさらに野茂は彼に傾倒し、いまや年下の彼に頭を下げて彼の投球術を教わっているそうだが、ペドロの「まずはストレート」というその教えが、この日の大仕事に大きく貢献したことは疑いない。またペドロも、普段の非番の日は試合途中にベンチに現れるや、ベンチの右端の足場に横たわってだらあっと応援しているのだけれども、この日はいつものように試合途中にやって来て5回を終わったベンチに一歩足を踏み入れたとたんに野茂の集中ぶりを敏感に察知し、その雰囲気を壊すまいと、さっときびすを返して控え室に戻ってしまったそうだ。大人(たいじん)は大人を知るのである。

  9回裏1アウトまで、3つのフォアボールとエラーのランナーを出しただけで依然一つのヒットも得点も許していない状況。ここで、次打者の打球はふらふらあっとセンターのはるか前方へ上がるポップフライとなった。それまでセカンドを守っていたStynesの怪我によって、後半から守備についていたLansingはしぶとく球に飛びつき、頭からグラウンドに落ちて回転しながらも捕球した球を離さず、ファインプレーを演出して大記録達成への望みをつないだ。

  しかし、この場面の後、多くの往年のレッドソックスのファンは、嫌な予感を抱いたそうだ。

  レッドソックスで最後に達成されたノーヒット・ノーランは1965年のこと。以来36年の間、このチームでその偉業が達成されたことはなかった。しかし、その最後の事件から2年後の1967年に、まさに寸でのところまで栄光をつかみかけたピッチャーがいたことは、ボストン市民の語り草になっている。その年のレッドソックスのシーズン3試合目の敵地ヤンキースタジアムのマウンドに上がったサウスポーのBilly Rohrは、今回の野茂と同じように彼の最初に登板した試合で、9回裏1アウトを取っていまだノーヒット。次の打者の打ったボールは、ふらふらと上空に舞い上がり、あわやヒットかという球をYastrzemskiが飛びつき、頭からグラウンドに落ちて回転しながらも捕球した球を離さず、ファインプレーを演出して大記録達成への望みをつないだのだった。

  何から何まで今回と状況が酷似しているこのあと、しかしRohrは次の打者にヒットを打たれて、ノーヒット・ノーランという大仕事を逃したばかりか、ルーキーとしてメジャー初登板での偉業達成という、これまではもちろんのこと、これからもおよそそんな投手が現れるとも思えない栄冠をその手から逃したのだった。

  Lansingのファインプレーで沸き、野茂の最後の一球に固唾を見守る球場の中で、このときとまったく同じ状況であることに嫌な予感を感じていた人は、往年のファンだけではなかったはずだ。その同じグラウンドでおそらくたった一人だけ気付いていたのは、レッドソックスの監督のJimy Williamsだったに違いない。彼はRohrと一緒にプレーした生き証人である。

  けれども、歴史は繰り返さなかった。野茂が最後に投じた91mph(146km/h)のこの日一番の速球は、奇しくも5年前のロッキーズとの試合とまったく同じ110球目の、2時間29分というあっと言う間の夢物語の幕を閉じるものとなった。ファインプレーの後に残り1アウトとなって、野茂はRohrには達成し得なかったその偉業を、こともなげに成し遂げてみせた。ルーキーの初登板では成し得なかったが、大リーグ7年目のベテランは、しっかりとその掌中にあった栄冠を離さなかった。

  記録達成のその時、グラウンドの中で優勝したかのような騒ぎに沸く選手を、3万5千人のファンで埋められた球場全体が祝福していた。実を言うと、4年前に僕はエンジェルスとの試合を見にこの球場を訪れたことがある。フェンウエイパークの倍はあろうかという球場は、地元のオリオールズを応援するファンでびっしりと埋められていたのを覚えている。そんな雰囲気を知っているだけになおさら、敵の喜ぶ様を祝福するファンの姿に、目の前で繰り広げられている歴史的な瞬間を純粋に楽しみ、それを成し遂げようとする東洋からの開拓者を素直に応援するアメリカ人は、生っ粋の野球好きなんだなという思いを新たにしている。この日、9回の地元オリオールズの攻撃中、審判がボールの判定をしようものなら、驚くことに球場には大ブーイングがこだました。野茂は、敵チームのファンをも味方に付けていた。

  いやいや、観客ばかりか、この日の野茂は審判をも味方に付けたかのようだった。大リーグでは今年からストライクゾーンが高めに広く取られるようになり(実際にはルールブックに書かれているゾーンを徹底するようになっただけで、ルールが変わったわけではないが)、次の日のこちらの新聞には、野茂の偉業は新ストライクゾーンの恩恵を被ったような書き方をされていたけれども、テレビのハイライトで奪三振シーンを見ればあきらかに、かなり甘い判定を下されたのは2度や3度ではなかった。

  そう言えば、こんなことがあった。

  野茂がミルウォーキー・ブリュワーズ時代の2年前に、大リーグ担当のスポーツ記者の間で、大リーグのエースの名に値するピッチャーは誰かという投票があった。その時、メジャーリーグの30にのぼるチームの何百人といるピッチャーの中から、エース候補として名前が挙げられたのは、たったの7、8人に過ぎなかった。そしてそこで挙げられた名前の中に、優勝争いには縁遠い弱小球団で孤軍奮闘する野茂の名前があった。「彼が投げるとき、監督はもちろんのこと、選手の間にも、球場を訪れたファンの間にも、何とも言えない安心感が漂って、何の関係もないこちらにまでひしひしと伝わってくるんだ。そんな雰囲気を持った投手を久しぶりに目にした」という目の肥えた記者達のコメントに、僕は当時いたく感激したものだった。

  この日の野茂は、そんな雰囲気に包まれた大リーグのエースだったのに違いない。バックを守る選手に信頼され、敵のファンに応援され、そして最後には審判にも惚れられて。

  とかく現代は、実力がものをいう時代であると言われる。なんとなくぎすぎすした世界。でもそんな世の中にあって、実力も大切だけれど、最後にものをいうのは決して「数字」や「地位」ではなく、それを超えて栄冠をかざしてくれるものがあることが、この日あらためて確認されたような気がする。全ての逆境を味方にしてしまうような『人格』こそが、最後にはものをいうということを。

  ともすれば、人格なんて関係ないかのような世界に暮らしている「科学」に携わる我々も、やっぱり最後は人格がものをいうに違いないことを肝に銘じて、僕はそんな科学者を目指したいと思う。

  さて、1901年に創設され、今年100周年を迎えたレッドソックスは、1918年以来遠ざかっているワールドチャンピオンの座に向かって、幸先良いスタートを切った。今年の野球シーズンが終わったその日、今度は優勝の歓喜の輪の中で「子供のような笑顔」をふりまく野茂をまた見てみたいと願う。   



Thursday, April 12, 2001
 朝から降り続く雨。何度も何度も恨めしげに空を見上げては、ため息をつく。はあ、今日は今シーズン初めてフェンウェイパークに繰り出す日だというのに・・・。

 化学科のラボのメンバー総勢14人で、レッドソックスの見初めとなる今日は、他のメンバーも一様にがっかりしているに違いない・・・と思いきや、平然と「これでやらないはずがない」とばかりにまったく気にする様子もない。まあ、メジャーリーグは日本のプロ野球のシーズンとまったく同時期に開催されていながら、試合数は162試合と日本のそれより約1カ月分も多い計算になることもあって、少しぐらいの雨で中止にしていると秋口に入って連日のダブルヘッダーなんてことになり兼ねないため、強行することはしばしば。

 果たして、夕方になると少し雨も小降りになり、ラボから一斉に歩いてフェンウェイパークへ。球場のまわりは、これまた今日が中止になるなんてこれっぽっちも思ってもいないファンで溢れかえっていた。

 今日の先発は大家投手。奇遇にも、僕が彼の投げる試合を見るのはこれが5回目にもなる。いわゆる相性がいいというやつ。しかし、これまた奇遇にも、彼の投げる試合を僕が見に来ると、決まって雨が降っているか今にも降り出しそうな天気。ああ、晴れわたった空の下で、軽快なピッチングを見てみたいものだ。

 試合はというと、これまたいつものように初回にヒットを集中して浴びて得点を与えるものの、味方の打線に支えられて、その後は立ち直って6回を2失点。大家投手の見事な今季初勝利を飾る試合をこの目に焼きつけることになった。

 さてさて、今季は実を言うとまだ自分でチケットを取っていないのだけれど、ありがたいことにいろいろな人から一緒にと誘われていて、すでにあと3試合分が手元にある。お気に入りの投手が投げる試合を、一人でじっくりと観戦するのもなかなか乙なものだけれど(今年も3、4試合はこのスタイルで)、今日のようにみんなでわいわいと見るのもまた格別。

 今年もレッドソックスにおおいにリフレッシュさせてもらえそうだ。


Monday, May 7, 2001
 さて、メジャーリーグでのイチローの活躍はもう完全に全米規模に広がっていて、ここボストンでもたとえ西海岸のチームの選手であろうとも、野球好きなら名前ぐらいは知っているという存在にすらなっている。スポーツニュースでも彼の名前が出ない日はないくらいだからそれも納得。というのもイチローの成績たるや、今年から新設された月間新人MVPのア・リーグ第1号に選出されるのも当然の、打撃部門9冠という華々しい成績を収めているのだからまったくもって恐れ入る。

 安打数がボストンの20億円プレーヤーのラミレスと並んでア・リーグ1位であるのを筆頭に、得点圏打率や2安打以上の試合数、はたまたもっとも少ない三振率など、好打者としての指標となる成績が俄然ピカイチ。なによりもここまで31試合を戦ってヒットを打っていない試合はわずか2試合という驚異的な数字も残して、これ以上無いほどの順調なメジャーデビューを飾っている。

 そもそもイチローはシアトル市民に好意的に受け入れられたわけではなかった、と聞いている。果たして結果が残せるのかまったく未知の東洋のプレーヤーに破格の契約金を結んだ上に、シアトル市民にとっては誇りとも言える「51」という背番号を見知らぬ輩に献上するとあって、心中穏やかでない人たちがたくさん居たそうだ。ちなみに背番号「51」は3年前までマリナーズのエースとして君臨し、今もアリゾナで衰えることなく活躍している速球王のランディー・ジョンソンのつけていた番号である。

 しかし今やイチローが守るライトは市民から「エリア51」と呼ばれているそうだが、つまりは背番号「51」が新しい主人のものとして定着してきていることを物語っているのだろう。ちなみに「エリア51」というのは、アメリカ軍がUFOを隠しているなどと噂されている秘密基地の名前で、イチローが守るこのエリアには一歩たりとも足を踏み入れることは出来ないということらしい。

 さてさて、明日からレッドソックスはマリナーズとの3連戦。イチローはここボストンに初見参となるが、初戦にはすっかりボストンの新しい顔になった野茂との二度目の対戦が待っている。

 といって僕はもうすっかりボストニアンになり切っているから、先月の月間新人MVPが発表されたときも、ボストンのヒレンブランドが次点に泣いたのを見てとっても悔しかったりしたのだけれど。なにしろこの選手、昨年の2Aから一気に3Aを飛び越して今年からメジャーで活躍をするという常識破りの選手で、高校まではサッカーの選手だったこともあってまったくの無名のシンデレラボーイなのだ。月間新人MVPがイチローに贈られた理由の一つに、ヒレンブランドが4つのエラーを記録しているのに対してイチローは0だというのがあったけれど、3塁手とライトを比べてもねえ。

 せめて明日から3試合はイチローに一本のヒットも出ませんように。・・・こんなことを書いたら日本のみなさんから「非国民」呼ばわりされるだろうか。


Tuesday, May 8, 2001
 100年をさかのぼった今日1901年5月8日は、レッドソックスの前身であるボストン・アメリカンズがフィラデルフィア・アスレチックスを相手にボストンで初めてホーム公式戦を開催した日。この日の先発ピッチャーは、19世紀と20世紀をまたいでノーヒット・ノーランを達成した唯一の投手、サイ・ヤング。この記念すべき開幕戦は、ボストンが12対4で勝利をおさめている。

 ちなみに、レッドソックスと名乗るのは1904年のことで、それまではアメリカンズを始めとして、サマーセッツ、ピューリタンズ、ピルグリムズ、プリマスロックス、スピードボーイズと様々に名前がころころと変わっていた。また、ボストンでメジャーリーグの試合が初めて行われたのは1876年のことで、これは現在はアトランタに本拠地を移したブレーブスがボストンのチームであったときの話。ブレーブスは1952年までボストンのチームだったが、1953年にミルウォーキーに移った後1966年からアトランタに。

 さて、20世紀と21世紀をまたいでノーヒット・ノーランを達成した唯一の投手、野茂英雄が登板した今日のレッドソックスは、イチローがリードオフマンをつとめるシアトル・マリナーズを相手に、奇しくも100年前と同じ12対4で勝利をおさめた。

 イチローのボストン初見参となったこの試合を見に、今シーズン3度目のフェンウェイパークのゲートをくぐったのだけれど、対シアトルのカードとしては異例ともいえる超満員。それもそのはずで、レッドソックス広報によれば、今日からの3連戦はもうだいぶ前にチケットが完売となったそうで、ヤンキース戦を除けばフェンウェイの開幕戦に次ぐ人気だとか。マリナーズといえば、24年前に創立されて以来、ワールドシリーズどころかアメリカン・リーグの優勝すらない球団。そのチームがボストンでこれだけ人気を集めるのは、イチローの活躍とその勢いに乗った今年の好調さのなせるわざかな。

 イチローはといえば、実力のバロメーターともいえるブーイングを球場全体から浴びて、それでなお活躍するあたりやはりただ者ではないようだ。もっとも、今日は日本人の観客がそれは石を投げれば必ず当たるというほどいたようで、イチローが打席に立つやあちこちからカメラのフラッシュが光っていたので、全員を敵に回してという状況ではなかったけれど。

 日本でも何度かイチローは見たことがあるけれど、体の線が細そうでいてその実がっしりとしている印象があったのだけれど、メジャーリーグの選手の中に入ってしまうと、やはりちっちゃな日本人という感じで、特に198cmのデレック・ローと対戦したときには、180cmのイチローが本当に小さく見えた。その子供のような選手が大の大人を相手に活躍する当たり、ますますすごいことになるのだが。

 ところで、今年は本当に日本人選手の活躍が目立つけれど、今週のBaseball Weeklyのトップページはボストンの野茂と大家の投球シーン。まあ、タイトルが「これは春の珍事か・・・はたまた本物か」というあたり、まだまだ頑張らねばならないようだけれど。


Saturday, May 12, 2001
 いやあ、やっと勝ったよ。というのはいつものレッドソックスの話ではなく、サッカーのニューイングランド・レボリューションの話。なにしろ、開幕からここまで6戦して全敗という12チーム唯一のチームだっただけに、今日の試合で優勝候補筆頭のシカゴ・ファイヤーに延長戦の末に勝利したときには、おもわずガッツポーズ(といってビデオ録画での話だけど)。

 アメリカのメジャーリーグサッカー(通称MLS)は、相変わらずプロスポーツの中でさしたる注目もされず淡々と今年7年目のシーズンを送っている上に、試合を見れば明らかにそのレベルたるやお粗末なものである。けれどもそこは腐ってもサッカーであるから、ぐるっと眺めてみればまあそこそこに楽しみはあるもの。

 例えば今日の対戦相手のシカゴには、以前には柏レイソルにいた元ブルガリア代表で国民的英雄のストイチコフがいるし、タンパベイ・ミューティニィーにはコロンビア代表のライオン丸ことバルデラマもまだ現役で活躍している。アメリカ・ワールドカップでアメリカ代表躍進の原動力となったゴールキーパーのメオラは、しばらく当時の影を潜めていたけれども、昨年は見事に復活して所属するカンザスシティー・ウィザーズを優勝に導いたりと、まあそれなりにおもしろいのである。

 我ら(?)のレボリューションといえば、スーパースターだったジョーマックス・ムーアがイギリス・プレミアリーグのエバートンに移籍し、監督兼選手だった元イタリア代表ゴールキーパーのゼンガは引退、フォワードの要のビーズリーとウィナルダは揃って今日の対戦相手のシカゴに移籍と、もうふんだりけったりで今年の成績もまあ納得ではある。

 ところで、いつもの野球の話にもどって、シアトルのイチローの活躍はまったく衰える気配もなく、今日もサイクル安打まで期待された4安打を放って連続試合安打記録を18にまで伸ばした。これはマリナーズの新人記録だけれど、アメリカン・リーグの新人記録といえばレッドソックスのガルシアパーラーが記録した30試合。ついでにいえば、メジャーリーグ記録は、ヤンキースのディマジオが56試合という記録がある。

 そんなイチローの勢いが伝染しているのか、チームも4月の勢いを取り戻してきたようで、アメリカン・リーグ西地区の他のチームの低迷と相まってこれはもう地区優勝は確定といった気配すら漂っている。

 今年のマリナーズのような快進撃はメジャーリーグでも珍しい話で、阪神タイガースが優勝した前年にホームランのショーケースと言われたデトロイト・タイガースが4度目のワールドチャンピオンに輝いたときにそっくり。まあ、マリナーズは一度もリーグ優勝すらしたことのないチームだけれど、24年前にマリナーズと同時に誕生したトロント・ブルージェイズは1992年と93年にワールドシリーズ2連覇を達成しているだけに、そろそろその時期かなという気もするが。

 そういえば、現在のマリナーズのジェネラル・マネージャー(GM、選手の獲得やドラフト選手の指名などの権限を持つチームの浮沈を握る人)のギリックさんは、ブルージェイズのGMを長らく勤めて黄金時代を作った人物だから、マリナーズのワールドシリーズ出場もまんざら夢ではないかも。

 いやいや、その前にレッドソックスが立ちはだかっているはずだから、そうは問屋が卸さないが。


Monday, July 9, 2001
 前半戦のフェンウェイパーク最終戦となった昨日の試合に先発した大家投手は、4回まで軽快な投球を展開していたものの5回に2本のホームランを浴びるなどして惜しくも敗戦投手に。しかし、今年のボストンでの開幕戦に先発した彼が、オールスター前の前半最後の試合にローテーション通りとはいえ先発が巡ってくるあたり、後半の活躍を期待したくなるというもの。マイナーの登板を含めても最近はちょっとばかり結果がついてこない状況だけれど、ピッチングコーチも監督もそして本人も「調子は悪くない」という言葉を信じて、オールスター明けからまた応援することにしよう。

 それにしても、レッドソックスときたら、よくぞこのメンバーでヤンキースと首位争いをしているものよと感心を通り越して感動すら覚える陣容。昨年のこの時期には4割近い打率を残していたガルシアパーラーをはじめとして、バリテック、エベレットの昨年のクリーンアップが故障でいない上、エースのマルチネスを筆頭に昨年の1軍メンバーの半数に当たる12人もが故障者リストに載っている有り様。さらには、最近レッドソックスの監督として400勝を記録したウィリアムズ監督は、選手との間が起用方を巡ってぎくしゃくしているし、そんな状況もあって就任以来すべて2位という成績を残しているこの監督を今年限りで辞めさせようとするジェネラルマネージャーとの確執までも先週のスポーツ・イラストレイテッド誌で取り上げられたりと、なんともはや。

 そんな状況を一心に救っているのは、新加入の20億円プレーヤーのラミレスと、同じく新加入でこれまでのところレッドソックスの勝ち頭となる8勝を挙げている野茂。特に野茂はいまや彼一人が開幕以来のローテーションを守っていることからして、名実共にレッドソックスのエースになった感あり。ああ、オールスターに出て欲しかったなあ。

 それから、大家投手のホームページの冒頭で見つけた坂本龍馬のことばをひとつ。

 丸くとも 一かどあれや人心
  あまりまろきは ころびやすきぞ


Tuesday, July 10, 2001
 さて今日はメジャーリーグ・ベースボールの中休み。オールスターゲームがシアトルのセーフコ・フィールドで行われた。

 337万票を超えるメジャーの最高得票を獲得してオールスターに選出されたマリナーズのイチローは、1番センターで先発出場。一回にいきなり内野安打で出塁して盗塁まで決めるあたり、やっぱりただ者ではない。おまけに日本時間で7月11日のこの日は、9年前にオリックスで一軍デビューを飾った日でもある。まあ、常に次を追い求めるイチローのこと、そんなことは覚えていないに違いないが。

 それにしても、今日のスターは何と言ってもカル・リプケン。今季限りでの引退を表明している鉄人も、今年で41歳の年を重ねるというのに、自身の18回目の最後のオールスターゲームをホームランで締めるところ、まさにミスター・ベースボール。

 ここぞというところで結果を出す「華」を咲かせることが出来るのも、これすなわち日々の頑張りのあかし。小学生以来グラブ磨きを一日も欠かしたことのないという、イチローの野球にかける思いの丈からすれば、アメリカでのこれまでの成功もなんら驚くことではないのかもしれない。


Saturday, July 28, 2001
 友達のボストン滞在と同時に暑くなり、帰ったと思ったらまた涼しくなった。冷房のない我が家に宿泊した友達への嫌がらせのような天気。これに懲りずに、毎日気まぐれなく寒い冬のボストンに今度は遊びに来てくださいな、Y君。

 さて、夏の甲子園出場をかけた福島大会の決勝では、延長11回に4点を挙げほぼ勝利を手にしていた日大東北が、その裏に5点を返されての逆転サヨナラ負けとのこと。そういえば日大東北の甲子園初出場をかけた15年前の学法石川との決勝戦でも、4点を挙げた延長10回のその裏に5点を返されて、逆転サヨナラ負けで準優勝に終わったことが思い出される。まさに歴史は繰り返された。なんといっても、日大東北はこれで3年連続の逆転サヨナラ負けで甲子園への道を絶たれたことになったが、今年のエースピッチャーは1年生の時からのレギュラーで、2年前の決勝戦では2点リードの最終回に3点を奪われて涙を飲んでいるだけに、母校と同じ郡山市の高校ということもあって、今年こそは甲子園に行かせてあげたかった。

 しかしたたえられるべきは、延長に入って4点を挙げられてもなおあきらめずに、必死に自分たちの力と努力を信じて5点を返した、福島代表で初出場となる聖光学院の選手諸君。初出場への壁がどんなに高いものかは、15年前の日大東北の例が全てを物語っているけれども、そんな逆境を全く感じさせずに立ち向かったその精神力は純粋に賞賛に値すると思う。是非、甲子園の晴れの舞台でも活躍して欲しいと願う。

 先日のバレーボールの試合には、満を持して我らのボスの登場。なにしろ、ここのところフルセットにもつれ込む接戦を展開するものの、最後にはなぜか力尽きて試合を落とすことが続いているので、ここでそんな悪い流れを断ち切ろうと、エースの登場を願った次第。我らがエース(ボス)は、身長2メートルを越す巨漢。さすがに常に主導権を握るものの、なぜだかやっぱりいつもの展開で、フルセットにもつれ込んでしまって、結局は競り合いに負けての敗戦。化学科一の仲の良さでは定評のある我がラボでは、勝負への執念・厳しさが足りないのかも。まあ、円満であることが一番だけれど。

 ソフトボールはといえば、先日も4番・サードでの出場。打率は2打数1安打と5割の成績だったが、少ない打席が物語るように、1対23という信じられないようなスコアでの3回コールド負けだった。なんで、山なりに投げるボールをみんながみんなホームランに出来るんだろう。今度ばかりは4番の責任ではないよな、たぶん。

 ところで、日本からのお客さんを迎えたときの定番として、またまたフェンウェイパークでレッドソックスの試合を観戦。今年2度目の野茂のピッチングを堪能することに。

 野茂は今やレッドソックスの押しも押されもせぬエースとして君臨している。なにしろ開幕以来ローテーションを守って投げている唯一のピッチャーで、この意味するところは、例えばこの日のチケットのように、たとえ1カ月前であってもぴったりと野茂の投げる日を予想できるということ。おまけに地元ボストンでは6勝負け無しの成績で、ファンにはたまらないまさに千両役者の活躍を続けている。

 この日もカナダのトロント・ブルージェイズを相手に、10個の三振を奪う貫禄のピッチングを展開してきっちりとボストンでの不敗神話を守り、今季11勝目となる白星と7月の月間MVP最有力候補となる負け無しの5連勝を飾ることになった。ちなみに、僕が生で観戦したときのレッドソックスの不敗記録も、難なく更新。

 ん〜、なんだかスポーツの話題満載の、スポーツ新聞まがいのサイトになりつつあるな、こりゃ。


Sunday, July 29, 2001
 ボストンの登山家がエベレスト登頂に成功したとのニュース。レッドソックスの1918年以来のワールドチャンピオンの座を奪還すべく、今年こそはとレッドソックスの帽子を被っての登頂だったそうだ。山頂ではヤンキースのペナントを焼くなどしてベーブ・ルースの呪いを振り払う厄払いもしたとか。さすが、ボストンの野球ファンは気合いが違う。

 そんなファンの願いを実現へと近づける朗報となるような今日の試合。

 今か今かとその勇姿をグラウンドで見ることを待ちこがれた、昨年のアメリカンリーグの首位打者、ノーマー・ガルシアパーラー。春に手術した右手首をすっかり癒し、今日は今シーズン初めてスターティングメンバーに名を連ねた。そして、いきなり初戦からファンを熱狂させる活躍を飾るあたり、まさに彼がまぎれもない一流であることを、自らが証明することとなった。

 1点を追う展開で貴重な同点ホームランでまずは復帰への祝砲を放つと、再び1点をリードされた後の満塁の場面では起死回生となる2点タイムリーヒット。そしてそのわずか1点のリードを、チーム一丸となって守り切り、見事に主砲の復帰を祝うまたとない結果を手中にした。

 昨日はカール・エベレットも復帰し、これでアメリカ中のメジャーファンが熱望していた、3番から6番までの、ノーマー、マニー、ダンテ、カールというドリーム・クリーンアップの完成。

 あとは、マルチネスとバリテックのバッテリーが怪我から帰ってくるのを待つばかり。ここに来て8連勝と俄然勢いを増してきたニューヨーク・ヤンキースを追撃するのは至難の技だが、83年ぶりのワールドシリーズ制覇と、それに熱狂するボストン市民をこの目で見ることが出来る日もまんざら夢ではないと思うし、是非とも見てみたいものだ。思いがかなう瞬間とはいかなるものかをこの目に焼きつけるために。


Sunday, August 5, 2001

 さて、アメリカでNFLに挑戦している元横綱・若乃花こと花田勝が、アメリカンフットボールの経験を積むべく、日本のアマチュア組織であるXリーグに属するオンワードでアメフトデビューを飾ることになった。確かに、小さい頃から相撲一筋に生きてきた彼のことだから、アメフトの試合経験をいっさい踏まないで本場のプロになろうというのも無理な話ではあるから、アマチュアとは言え試合に出てその経験をまずは積むという選択は悪くはないと思う。でも、これってやっぱり「オンワードに就職」ということになるのか。

 7月31日のトレード期限(この日までにトレードされた選手はワールドシリーズのプレーオフに出場することが出来る)ぎりぎりに、モントリオール・エクスポズに交換トレードされた大家投手がアストロズを相手に土曜日に登板したが、0対0の息詰まる投手戦を展開するも力一歩及ばず、敗戦投手となってしまった。

 エクスポズの所属するナショナル・リーグは、投手もバッターとして打席に立たねばならないから、横浜でプレーしていた大家投手にはなじみのシステムのはず。それになんと言ってもエクスポズには一時代を築いた伊良部投手と吉井投手もいるから、ある意味で得難い環境を手に入れたのかもしれない。エクスポズと言えばペドロ・マルチネス投手やジェイソン・バリテック捕手が育った場所で、若手養成には定評のあるチームだから、彼も次へのステップの足掛かりにして欲しいものだ。

 YABeT's Boardでは、モントリオールに移ったとはいえ僕と同じ時期にアメリカに渡り、同じボストンでその活躍を目にした縁を大切にして、今後も大家投手を応援していこうと思う。


Sunday, August 19, 2001
 ボストン・レッドソックスのジミー・ウィリアムズ監督が、アメリカンリーグ東地区2位という成績ながら解雇されるという衝撃のニュースから4日。今年、創設100年目を迎えたレッドソックスは、その第42代の新監督としてピッチング・ヘッドコーチのジョー・ケーリガンを昇格させ、プレーオフ出場をかけて仕切り直しと相成った。そして、野茂が先発した今日の正念場の試合で、4番ラミレスが自身14度目の満塁ホームランを放つ(さすが年棒24億円だ)も終盤に猛打を浴びて力尽き、レッドソックスは新監督就任以来2勝2敗というスタートを切った。
 
 5年目のシーズンを送っていたウィリアムズ監督は、次から次へとレギュラーメンバーが怪我で戦列を離れる今年の状況にも関わらずヤンキースにぴったりとついてきていたこの成績を持ち出すまでもなく、勝負師としての手腕は高く評価されるところだったが、その己の勝負哲学からか選手との間に距離をおきすぎて誤解を生んでしまったのが最後にわざわいして、ヤンキースに5ゲームを離されたところで解雇となった。
 
 1918年以来ワールドチャンピオンの座から遠ざかっているレッドソックスは、68年にわたってオーナーとして君臨していたヨーキー家が今年一杯で手を引くこともあって、何としても今年その夢を叶えるために必死になっている状況ではある。がしかし、あまりに厳しい現実。歴代5位となる414勝を挙げ、ここまで4年連続2位という成績の監督がシーズン途中で解雇されるなんて・・・。
 
 ファンとしては人事のプロが下した決断が、シーズン終了までの残り40試合で良い結果を生んでくれることを祈るばかりだが。
 


Thursday, October 4, 2001
 レッドソックスの野茂投手が、今季の最終登板に勝利して13勝目を挙げた。今日も6つの三振を奪い、シーズン通算の奪三振は220個となって、アメリカンリーグのトップ。ノーヒット・ノーランで幕を開けたボストンのシーズンは、イチローに刺激されたか、まだまだ一流であることをその腕で証明してみせた。巷では来期の移籍が噂されているけれども、是非ともボストンに残ってまたその雄姿をここで見せてもらいたいものだと切に願う。

 さて今日の話題と言えば、70号ホームランを放ったジャイアンツのボンズ一色。98年に記録し永久に破られることのないと思われたマグワイアのそれに、ついに並んだ。ボンズは今季3試合を残しているだけにまだまだ記録更新の期待も膨らむ。マグワイアが鋭いスイングとそのパワーでホームランを量産する典型的なホームランバッターに対して、ボンズは一見するとホームランバッターには見えないのに、ホームランを量産出来るのは何ゆえか。その秘訣は、ここのところ数試合の打席に見て取れるかもしれない。

 ボンズが所属するナショナルリーグは、3地区ともまさに混戦のシーズンで、残り3試合というのにいまだにどの地区でも優勝が決まっていない。当然、優勝戦線にからむ対戦相手のチームは、一発のあるボンズを敬遠して勝ちに執着することになり、それがひいてはベーブ・ルースの四球のシーズン記録を破ることにもなったのだけれど、とすると1試合に1度か2度しかまともに打たせてもらえない状況でホームランを打つという芸当をボンズはやってのけたことになる。その集中力たるや。歴代のメジャーリーガーの中で10傑を挙げるなら必ず入ると言われる所以がそこにある。

 ところで、個人的には今日達成された歴史的なもう一つの記録に僕は拍手を送りたい。それは、パドレスのリッキー・ヘンダーソンが73年ぶりに更新した通算得点記録(ちなみに英語では得点のことをRUNというのでRと略する)。今年42歳でメジャー23年目となるヘンダーソンは、つまり19歳から生き馬の目を抜く大リーグでプレーを続けていることになる。メジャーで初めてプレーする選手の年齢の平均が25歳ぐらいだから、そもそもモノが違うのかもしれないが、42歳の今もデビュー以来一貫して一番打者として活躍を続けているその姿にはホレボレする。彼は通算盗塁数もダントツだけれども、1982年のシーズン130盗塁(SB)という数字を見れば、その非凡さがかいま見れるというもの。なにより、40歳を超えたリプケンやグウィンが今季限りで引退を宣言している中で、最年長のヘンダーソンは来年もその溌剌ぶりを見せてくれそうなのが楽しみ。

 それにしても、野球の話になるとこの欄が長くなるのもどうかと思うが。


Tuesday, November 20, 2001
 ところで、マリナーズのイチロー外野手がアメリカンリーグのMVPに輝いたという嬉しいニュース。投票した記者28人のうち11人がイチローに1位票を投票したのに対し、4人が4位以下という評価が物語るように、2位のジアンビや3位の最有力視されていたブーンとは僅差だったようだけれど、28人全員が今年のMVP候補10傑の中にイチローを推したという事実、走・攻・守のセンスと精度でメジャーに挑んだ、いわばベーブ・ルース以前のベースボールスタイルが評価されたという意味は大きいと思う。何より、日本から渡って来たばかりの新人で外国人のイチローに、惜し気もなくメジャー最高の勲章を渡してしまうアメリカという国の大きさが、あらためて身に染みる出来事だ。

 来年、イチローは果たしてどんなプレーを見せてくれるのだろう。前年を足場にして必ず次への高みに上っていくイチローのことだから、MVPを受賞してますます来年が楽しみになってきた。


Wednesday, November 21, 2001
 昨日のこの欄で、イチローがこの時代のメジャーリーグでMVPを取った意味は大きいということを書いたが、同じようなことを書いている新聞記者が居た。自分もスポーツライターと同じ目を持っているような感じで、なんだかうれしい。

 なんせ高校時代に新聞部に居たときは、常に結果と戦っている選手の真実に迫るスポーツライターに憧れていたから。余談ついでに、そんなわけで「江夏の21球」という記事で有名な山際淳二さんが若くして急逝したときには、本当に悲しかった。

 さて、今日の「Seattle Post-Intelligencer」という新聞に掲載されたその記事は、「長距離砲に酔いしれたこの国で、筋肉増強剤に頼る強打者ばかりがSports Center(ESPNというスポーツ専門チャンネルのニュース番組)のハイライトを飾るこの時代に、人々の関心がすぐによそへと移ってしまう現代に、海を渡ってアメリカにやってきてリーグ最多勝記録を作ったチームの起爆剤となった選手に対して、敬意が表された」とある。

 このMVPは、今年は次点に終わったジアンビ選手が昨年受賞したときに、その体格からは想像も出来ないことだけれど、なんと思わずインタビュー中に嬉し泣きに声を詰まらせたほどの重い賞だ。そのシーンを思うと、イチローが受賞の会見で満面の笑みをたたえながら応じている姿が、なんだか頼もしく思えた。

 今年のナショナルリーグのMVPに輝いたボンズ選手は、史上最多の4度目の受賞。さて果たしてイチローは、現代の主流に逆行するハンデを背負いながらそれを跳ね返して、また再びこの栄冠に輝くことがあるのだろうか。来年のシーズンが待ち遠しい。


Monday, December 17, 2001
 メッツの新庄外野手が、サンフランシスコ・ジャイアンツに突然のトレードに出されたとのニュース。つい最近契約を更改したばかりだっただけに、ちょっとびっくりしたけれど、最近のメッツの強打者の補強ぶりを見ているとそれも納得か。

 ジャイアンツのべーカー監督の希望でのトレードとのことなので、新庄にしてみれば実はメジャーで活躍するチャンスが広がったと言えるかもしれない。なにより、ジャイアンツと言えば球界きっての外野手の層の薄い球団である上に、ライトを守っていたデービスは引退するは、その控えのバンダウオールはヤンキースにトレードに出されているし、看板外野手のレフトのボンズもFAを宣言して去就が注目されていると。

 なにはともあれ、新天地でも頑張って欲しいね。


Thursday, December 20, 2001
 日本では横浜ベイスターズのオーナー権譲渡が話題になっているようだけれど、ここボストンでも、身売りに出されていたレッドソックスの新オーナーがついに決定。これにより、1933年以来メジャーリーグ史上最も長く一つの球団の経営権を握っていたYawkeyグループから、つい先日フロリダ・マーリンズを手放すと発表したばかりのJohn Henryと、これまた数年前までサンディエゴ・パドレスのオーナーだったTom Warnerが、新たに手を組んだグループの手に移ることが確実となった(厳密には30球団のオーナーの75%の承認が必要なので、来年の夏までは未確定)。球団買収額、実に6億6千万ドル(約850億円)。昨年のインディアンスの史上最高の買収額の3億2千万ドルをはるかに更新するとてつもなく大きな買い物となった。

 このオーナー権の移譲は、先日2球団の削減を宣言したことにも表れているように、メジャーリーグベースボールがいよいよ古き良き時代に別れを告げなければならなくなったことを象徴しているかのようだ。

 というのも、このレッドソックスは1933年にオーナーとなったTohmas Yawkeyが1976年に亡くなると、その意志を継ぐ形でJean Yawkey夫人が引き続きオーナーとなって見守られて来たし、さらに1992年にJeanが亡くなった後も、Yawkey家の手に移ってから一度も達せられなかったワールドチャンピオンの座を宿願として、夫人の意志を継いでYawkeyグループがなお経営を続けていたという、いわばこだわりの球団だったのだが。果たして、より良い収益を求めて、一度手に入れた球団をホイッと手放して乗り移ってきた輩にくれてやるとは・・・。これじゃあ、球団として成功しているとは言い難いドジャースと同じ轍を踏んでいることになるんだけどなあ。

 今度のHenry-Warnerグループの公約が「新球場建設の計画を白紙に戻し、メジャーリーグで最も古く歴史のあるFenway Parkを壊さずに改修して後世に残したい」というあたり、永年の懸案であるけれども様々な意見も渦巻いているその辺のファン心理をくすぐるってのがまた、どうにもねえ。

 まあ、1軍選手の平均年棒が2億円を超えていると言う時代、お金にこだわらなくては、とてもチームを維持も出来ないだろうけれど。


Sunday, January 13, 2001
 先週の結婚式の模様を撮影した200枚を超える写真は、全部とはいかないまでもその瞬間を後世に伝えるという役割はなんとか果たせそうな作品に仕上がってきたので、まずは一安心。主役のお二人からもありがたいお礼の言葉をいただいたので、ほっと胸をなで下ろしているところ。

 さて、今年のメジャーリーグは、新たに日本から石井一久、小宮山、そして田口を加えて、日本人には身近なものとなってますます面白くなりそう。そんな中、ネットで田口がカージナルスへの入団を決めたコメントを見つけて、うーんとうなってしまった。これは乙な目の付けどころ。

「トニー・ラルーサ監督の下で一度やってみたかった」

 この田口のコメントに、イチローと同じ年にしかもドラフト1位(鈴木一朗はドラフト4位での入団)でオリックスに入団した一流の野球人としての、常に上を見つめる気概を感じたのは僕だけではあるまい。

 1944年生まれのTony LaRussa監督は、34歳でシカゴ・ホワイトソックスの監督に就任して以来、3度アメリカンリーグの最優秀監督賞を受賞するなど、「知将」という称号をほしいままにしているその人である。おまけに、メジャーリーグ史上4人目の弁護士の資格を持つ野球人としてもその名を知られている。

 フロリダでホワイトソックスのマイナー組織の2Aの監督をしていた30代前半に、彼はフロリダ州立大学の法学大学院を3年かけて卒業し、卒業するや3Aの監督に昇格。翌年にはシーズン途中に34歳の若さでシカゴ・ホワイトソックスの監督に就任して、さらにはそのシーズンオフにフロリダ州の弁護士試験に合格。

 世間にはいろんな人が居るというけれど、プロの野球人としての職にありながら、同時進行で弁護士の資格も取得してしまうというバイタリティーたるや。田口でなくとも、こんな人の下で一度働いてみたいものである。

 果たして、メジャーの深さを体現しているようなラルーサ監督の下で、田口はどんな成長を見せてくれるのだろうか。今年はセントルイスからも目が離せない。

Thursday, May 2, 2002

先週末のこと。ボストン・レッドソックスのDerek Lowe投手が、チームとしては昨年の野茂英雄以来となるノーヒットノーランを達成し、こちら日本でもその偉業がニュースで伝えられました。そのニュースを遠出先の福山のテレビで聞いた瞬間は、まわりにいたのがボストン時代の知り合いの面々だったこともあっておおはしゃぎ。いやあ、嬉しかったなあ。

Lowe投手といえば、一昨年には大魔神佐々木投手を上回る年間42セーブをあげるほどのレッドソックスきっての抑えの切り札でした。しかし、昨年は全くの鳴かず飛ばずの成績に、ついには本拠地のフェンウェイパークのファンからも、登板するやいなやブーイングの嵐を浴びせられる始末。そして、大家投手との交換トレードでモントリオール・エキスポズ(余談だけれど、球団消滅騒ぎの中で選手の補強を全く許されなかったこの球団が、その大家投手と吉井投手の活躍もあって、なんと現在ナ・リーグ東地区の1位にいるとは、天晴れ、アッパレ)からやって来た新ストッパーのUgueth Urbinaの活躍により、完全にお役御免となってホント気の毒だったのです(あ、いや、そんな僕も昨年はLowe投手がマウンドに上がるやブーイングこそしないまでも、はあ〜、とため息をもらしていたのは・・・内緒)。

今シーズンの開幕前に役不足のレッテルを張られて突如解雇されたケーリガン監督が、昨シーズン途中のヤンキースの追い上げムードの真っ只中に強引に解雇されたウィリアムズ監督の後を受けて、ピッチングコーチから監督の座についたのは、とりもなおさずLowe投手の成績不振の「おかげ」だったわけですが、さすがに手塩にかけて育て上げた愛弟子の見る影のなさに、シーズン終盤には仰天の先発指令で再生を図ったのは今となっては彼の置き土産となりました。

それにしても、開幕前の春のキャンプのLowe投手のトレーニングはただただスタミナをつけることに徹していたと聞いて、過去の栄光をかなぐり捨てても先発での成功に並々ならぬ決意を持っているのだなあと思っていたので、本当にこの快挙は嬉しいなあ。彼も新聞でのインタビューに答えて「ここで(フェンウェイパーク)ブーイングを浴びせられたことが、僕の人生の財産です」なんて答えているあたり、僕の知っているつっぱりヤンキー兄ちゃん投手からひとまわり成長したようで。

そのLowe投手の今季のこれまでの成績は、なんと4勝1敗で防御率は2.04。ヤンキースを抑えてア・リーグ東地区の1位となっているレッドソックスの原動力の働きっぷりに、海を越えて僕もますます応援のボルテージが上がりそう。


Sunday, August 11, 2002

さてさて、今日は久しぶりにアメリカのメジャーリーグの話です。

先日、モントリオールの大家投手(ボストン・レッドソックスから昨年移籍)が、ダイヤモンドバックス戦でカート・シリングと投げ合い、8回を終えて1対1の堂々たるピッチングを披露しました。いやはや、あっぱれです。この話を聞いて、これこそどんなに感動したことか。

しかし悲しいかな、このことを詳細に伝えている日本のマスコミは、僕の知る限りほとんどありませんでした。勝敗がつかなかったこともあってか、単に「大家が好投」程度の扱いでした。これには本当に頭をひねるばかりです。

昨年のワールドチャンプを相手に、しかもあの奪三振王のシリングと投げ合って互角だったという事実は、「イチローの今日の成績は4打数1安打でした」という類のもの より、遥かにはるかに大きな伝えるべき事実だと思うのですが、いったいどうしたことでしょう。相手が大投手であればあるほど、先に点をやってはいけないという意識は強くなるもの。そんなプレッシャーを見事に克服したピッチングを、誰あろう同じ日本人がたたえてあげなくては、寂しい限りだと思うのです。

有名人であることが記事になるのではなく、スポーツの本当の価値を伝える記事が広く目にできる世の中は、真に居心地の良い場所だと思います。

著名人に道端で遭遇したからといって、妙に感動しているようではまだまだ僕も修業が足りないのは、重々承知していますけれど。


Sunday, October 6, 2002

 なんともびっくり。ヤンキースが地区シリーズで早くも敗退とは。これ、アメリカ・メジャーリーグベースボールのプレーオフの話です。

 しかも、アメリカンリーグ4連覇を達成中のヤンキースを破ったのは、アナハイム・エンジェルスというから二度びっくり。勢いというのは恐ろしいです。まあもっとも、今年のヤンキースときたら故障者ばかりで、およそかけたお金に見合った効果が期待出来ないようではありましたが。

 このアナハイム・エンジェルスは、1961年に創設された比較的新しいチームです。当時「もう一つのL.A.のチーム」と呼ばれ、ほとんどドジャーズのおまけのような存在だったそうです。何より、エンジェルスを悲劇の主人公に仕立て上げているのは過去のプレーオフの歴史。今回でプレーオフへの進出は4度目となりますが、1982年と1986年のそれは「アナハイムの呪い」として地元市民に語り継がれているのです。

 まずは1982年。リーグ優勝決定戦でミルウォーキー・ブリューワーズ(現在はナショナルリーグのチームですが、1970年にシアトルからパイロッツが移ってブリューワーズとなって以来1998年まではアメリカンリーグのチームでした。ちなみに、シアトルにはその後、1977年になってマリナーズが誕生しています)に2勝0敗とリードするも残り3試合に全敗し、初めてのワールドシリーズを逃してしまいました。

 そして1986年。同じくプレーオフのリーグ優勝決定戦で、ボストン・レッドソックスに2勝0敗とワールドシリーズ進出への王手を懸けたエンジェルスでしたが、第3戦目の勝利をあとアウト一つとしてから逆転ホームランを浴び敗戦。そして続くその後2試合も落として、またしてもリーグチャンピオンとはなれませんでした。実にリーグチャンピオンとなる機会を6度も与えられながら、すべてことごとくその手から滑り落としてきた歴史。果たして、このプレーオフ初「勝利」で、その勢いに乗ってあと2つの階段も駆け登ってしまうのでしょうかね。

 というわけで、リーグチャンピオンになるにはまだもう一つ前に立ちはだかる壁があるので、そこで「のろい」復活とならないことを祈るばかりです。

 ところで、昨年のワールドチャンピオン、アリゾナ・ダイヤモンドバックスもなんとも0勝3敗のストレートでセントルイス・カージナルスの前に敗退してしまって、今年はちょっと毛色の違ったワールドシリーズが楽しめそうです。まあもっとも、僕のシリーズ予想のツインズ対カージナルスに一歩一歩近づいているのですが。楽しみ、楽しみ。


Tuesday, December 3, 2002

備忘録の更新を怠けている間に、大リーグのワールドシリーズはアナハイム・エンゼルスがお家芸の粘りを存分に発揮して大逆転での制覇。いやはや、あのエンゼルスがねえと、かなりびっくりな出来事でした。

勝因としては、彗星のごとく現れたK・ロッドことロドリゲスの三振ショーやらMVPのグラウスのパワーやら、はたまたレッドソックスからクビを言い渡されて流れ着いたエクスタインの活躍やらが挙げられていますが、僕はやっぱり監督の功績かなあと思います。就任3年目でチームを頂点に導いたマイク・ソーシア監督ですが、3年前に弱小チームに就任するやいなや「このチームで優勝出来ないのはおかしい」と、ことあるごとに周囲に嘯いて、冷たい視線を浴びていたのですが・・・。今シーズン前にはそれを実証するかのように、アリーグ西地区を昨年制したマリナーズに41ゲームも離されながら、大きな補強をするでも無く同じ陣容でシーズンに突入しました。そしてこの結果。監督の言葉は自分を鼓舞する言葉でも誇張した表現でも無く、今年の優勝で自分の見る目の確かさを身をもって証明したということになりますね。そういう意味で、とても感動的な出来事でした。

ソーシア監督は、ロサンゼルス・ドジャース歴代最多の試合にマスクをかぶった名キャッチャーとして知られ、ピアザにその座を譲ってパドレスに移るまで、実に13年間もドジャースのホームプレートを守っていた人。81年と88年のドジャースのワールドチャンピオンも経験し、プレーヤーとしても成功しています。で、この監督の何がすごいのか。

野球を職業とする者として、頂点に3度立ったというその実績が、野球の技術や知識が超一流だということを物語っています。でも、超一流の監督は他にもごまんといますから、やはり、注目すべきは彼の人柄かなあと思います。ドジャース時代以来、今も2人のお子さんと奥さんと一緒にロサンゼルス近郊に住む監督は、アナハイムまで120kmの道のりを車で通っています。その理由は「シーズン中の子供たちと過ごせる唯一の時間が、学校に送って行く車の中だけだから」だそうで、前日の試合がたとえ深夜に終わろうが、そのまま車で家に帰り、翌日には早く起きて子供たちを学校に送るとか。

そんな心意気は、職場であるチームにも浸透していて、就任以来のスローガンが「コミュニケーション」というように、常に選手と語らうことでお互いを信頼することからすべてが始まることを実践しています。球団の身売りが決定済みで、しかもいまだに買い取り先も決まっていないこのチームにあって、こんなに一致団結した雰囲気を醸し出しているのも不思議だなあと思っていましたが、すべては監督の人格のたまものなのかもしれません。人の心に動かされた人の行いは、何にも増して強いことをエンゼルスが示してくれたような気がします。



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